戒能 通森(かいのう みちもり、永正14年(1517年) - 天正15年(1587年))は、戦国時代の武将。伊予国国衆で、小手滝城主、大熊城主、鳥屋ヶ森城主などを務めた。諱は「通盛」とも。父は戒能通運、子に戒能通邑

略歴

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伊予河野氏一族で豪族 、守護代を務める家系。3つの城を治め、河野十八将の一人に数えられる。

家老職を務めた。天文2年(1533年)など、近隣の大野利直らに度々居城を攻められているが、平岡氏などの支援を受けて父と共に撃退している。

羽柴秀吉四国征伐に際しては、河野氏は小早川氏の侵攻を受け、和睦(降伏)すべきか抗戦するべきか家中の意見が割れたが、一族、家臣の未来を願い、 戒能氏は和睦(降伏)を説いたという。

惣領家没落後、河野氏の社参には必ず供奉したという。子の通邑は帰農し、後に庄屋を務めた。