慕良(ぼりょう、모량)は、金官伽倻の建国時に諸王に仕えた重臣趙匡の妻である[1]。金官伽倻第3代の王麻品王の妃である好仇は慕良の孫娘である。
許黄玉がインドのサータヴァーハナ朝から船に乗って48年に伽耶に渡来した際に、媵臣(嫁にいく女の付き人)としてサータヴァーハナ朝から伽耶に渡来した[2]。