慕容耐
慕容 耐(ぼよう たい、拼音: 、? - 285年[1])は、鮮卑慕容部の大人。父は慕容木延であり、兄に慕容渉帰がいる。『資治通鑑』では慕容刪と表記される。
生涯
編集太康4年(283年)、兄の慕容渉帰が没すると、その嫡男である慕容廆が後を継ぐはずであったが、慕容耐は位を簒奪して大人となった。
さらに彼は慕容廆を謀殺しようと目論んだが、事前に危機を察知した慕容廆が逃亡を図ったので、急いで追っ手を差し向けた。慕容廆は遼東に住む徐郁の下へ逃走すると、その家屋に入って席の裏側に隠れた。追っ手もまた家屋に浸入してその姿を探したが、遂に見つからずに引き返した[2]。これにより慕容廆は難を逃れた。
太康6年(285年)、部下の裏切りにより慕容耐は殺害され、慕容廆が大人として迎えられた[1]。
脚注
編集参考資料
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