愼道晟

大韓民国の政治家

愼 道晟(シン・ドソン、朝鮮語: 신도성1918年3月7日 - 1999年9月6日)は、大韓民国政治学者政治家本貫居昌慎氏[1]

生涯

編集

1918年に慶尚南道居昌郡[2]または京城府で誕生[3]。1941年に東京帝国大学法学部政治科を卒業[4]。1944年に東京帝国大学大学院を修了[4]。1969年に慶熙大学校で法学博士号を取得[4]

1945年に延禧専門学校助教授。1946年にソウル大学校政治学科教授。1952年に東亜日報論説委員。1954年に民主国民党宣伝部長。1954年から1958年まで民議院議員。1958年にソウル新聞常任監査。1959年から1960年まで慶尚南道知事3・15不正選挙金朱烈死亡事件への関与を疑われ、四月革命後に拘束を受けた[2]

1964年に大邱大学校学長。1965年に行政改革委員会委員。1969年に統一問題研究所理事長。1969年から1974年まで嶺南大学校教授。1972年から1974年まで嶺南大学校総長。1974年から1975年まで国土統一院長官。1976年から1984年まで明知大学校大学院教授。1978年に共産圏問題研究所理事長。1982年にエスペラント協会顧問。1985年から1993年まで大田大学校客員教授。1987年に社会民主党顧問。1988年に居昌大学校設立準備委員会委員長。1990年に統一顧問。1991年に平和民主党常任顧問。また、梨花女子大学校政治外交学部長を務めたこともある[3]

注釈

編集
  1. ^ (150)거창 신씨(居昌愼氏)-43,890명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2015年2月19日). 2022年7月23日閲覧。
  2. ^ a b 신도성(愼道晟)”. 韓国民族文化大百科事典. 2023年8月15日閲覧。
  3. ^ a b 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2022年7月23日閲覧。
  4. ^ a b c 신도성 - 韓国行政研究院

参考資料

編集


公職
先代
金溶植
  大韓民国国土統一院長官
第4代:1974 - 1975
次代
兪尚根
先代
金奎鎭
慶尚南道知事
第7代:1959 - 1960
次代
李基周