愛知県立加茂丘高等学校
愛知県豊田市にある高等学校
愛知県立加茂丘高等学校(あいちけんりつかもがおかこうとうがっこう)は、愛知県豊田市藤岡飯野町(旧・西加茂郡藤岡町)に所在する公立の高等学校である。
愛知県立加茂丘高等学校 | |
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北緯35度11分44.3秒 東経137度13分25.3秒 / 北緯35.195639度 東経137.223694度座標: 北緯35度11分44.3秒 東経137度13分25.3秒 / 北緯35.195639度 東経137.223694度 | |
過去の名称 |
愛知県立猿投農林高校藤岡分校 愛知県立猿投農林高校小原分校 愛知県立足助高校旭分校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 愛知県 |
学区 | 三河群Aグループ |
校訓 | さとく ゆたかに たくましく |
設立年月日 | 1972年(昭和47年) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 普通科自然科学コース |
学科内専門コース | 自然科学コース |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D123210001197 |
高校コード | 23203D |
所在地 | 〒470-0451 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
設置学科
編集- 普通科
- 自然科学コース
沿革
編集開校準備
編集1971年(昭和46年)2月、分校統合による独立した県立高校の建設のため、愛知県知事・藤岡村長・小原村長の間で覚書が交換された。同年4月に愛知県加茂地区県立学校開設準備が開始され、同年8月に建設工事起工(報告)式を挙行。同年9月に学校名(仮称)学科等が公示され、愛知県立加茂丘高等学校(仮称)普通科が設置された。同年12月には1972年(昭和47年)度愛知県立高等学校入学募集要項に、愛知県立加茂丘高等学校(仮称)が普通科3学級(135名)として生徒募集を実施する旨が公告された。1972年(昭和47年)3月に女子制服や校章などが決定し、同年3月に1972年(昭和47年)度入学者選抜が実施された。
開校後
編集- 1972年(昭和47年)4月 - 開校[1]。愛知県立猿投農林高等学校藤岡分校・小原分校、および、愛知県立足助高等学校旭分校を統合。
- 1972年(昭和47年)10月 - 開校記念式挙行。
- 1973年(昭和48年)3月 - 校旗制定。
- 1975年(昭和50年)3月 - 校歌制定。
- 2000年(平成12年)4月 - 制服変更。
校訓
編集基本校訓
編集- 「さとく ゆたかに たくましく」
- 教育基本法に則り、国家社会の有為な形成者にふさわしい国民を育成する。このため、次の目標を掲げて、その青年像の実現を目指す。
教育目標
編集- 広い教養と良識のある青年
- 豊かな情操と思いやりのある青年
- 困難に耐える意志と体力及び実践力のある青年
努力目標
編集- 基礎学力の充実と将来の進路に適応できる能力の向上(知)
- 基本的生活習慣(躾)の確立と心豊かな人間の育成及び道徳的実践力(徳)の向上
- たくましい身体(体)の育成と忍耐力の向上
校章
編集校章の台座は、スハマソウ(別名:ユキワリソウ)の葉をかたどっており、台座の葉の3つの鱗片は、教育目標の3つの柱である知・徳・体を示している。この植物は、本校の立地地域にも自生し、厳寒の季節に積雪を割って開花する習性を有する。その耐寒性と容姿の愛らしさに「雄々しさ、たくましさの中に清潔な心と姿」という意味合いを重ねた。なお、校章の中心に配した「高」の文字を形象化した部分は、高等学校という場における、人と人の交わりと連帯性を象徴する意味を有する。
部活動
編集運動部
編集- 軟式テニス
- 野球
- バスケットボール
- 卓球
- バレーボール
- 弓道
- ハンドボール
- サッカー
- 登山
文化部
編集- 茶道
- 英会話
- ボランティア
- JRC
- 文芸
- 華道
- 吹奏楽
- パソコン
- ゲーム
交通機関
編集著名な卒業生
編集- 美奈子(タレント) - 中退
脚注
編集- ^ 藤岡町誌編纂委員会・豊田市社会部藤岡支所 『藤岡20世紀のあゆみ』 pp.516-519 豊田市、2008年