愛宕通英
経歴
編集東京帝国大学(現東京大学)工学部出身で1926年から陸軍航空本部にて射撃照準器、爆撃照準器の研究に当たった。1933年東京光学(現トプコン)に入社し光学兵器設計製造に加えカメラ設計に従事した。第二次世界大戦後はカメラ設計とともにその指導に当たった。退社後銀友光機研究所を設立、国産カメラのレベル向上に努めた。
設計したカメラには東京光学の製品が多く、ミニヨン、ミニヨン35、プリモフレックス等がある。
著書
編集脚注
編集- ^ 訃報欄『朝日新聞』1974年(昭和49年)1月10日夕刊、3版、9面
参考文献
編集- 『クラシックカメラ専科No.4、名機の系譜』朝日ソノラマ
関連項目
編集外部リンク
編集- 「陸軍技師太田建次郎外百五十五名叙位ノ件」(国立公文書館蔵、アジア歴史資料センターRef.A11113845300)