愛子 (テレビドラマ)
『愛子』(あいこ)は、1973年10月1日から1974年3月30日までTBS系列でポーラテレビ小説枠で放送されていた連続テレビドラマ。
テレビ小説『愛子』 | |
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ジャンル | テレビドラマ |
原作 | 佐藤愛子 |
脚本 | 高橋辰雄 |
演出 |
福田新一 前川英樹 高畠豊 |
出演者 |
杉田景子 渡辺美佐子 ひし美ゆり子 垂水悟郎 大門正明 岡田祐介 誠直也 蟹江敬三 秋吉久美子 池田和歌子 菅本烈子 菅井きん 朝比奈尚之 新村礼子 黒木進 柏木隆太 扇谷敏(遠藤周作の子役) 初井言栄 沢井孝子 丹古母鬼馬二 佐藤愛子(特別出演) |
製作 | |
制作 | TBS |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
テレビ小説『愛子』(本放送) | |
プロデューサー | 堀川とんこう |
放送期間 | 1973年10月1日 - 1974年 3月30日 |
放送時間 | 月曜日 - 土曜日 12:40 - 13:00 |
放送枠 | ポーラテレビ小説(TBS) |
放送分 | 20分 |
テレビ小説『愛子』(再放送) | |
プロデューサー | 堀川とんこう |
放送期間 | 1973年10月1日- 1974年 3月30日 |
放送時間 | 月曜日 - 土曜日 08:10 - 08:30 |
放送枠 | ポーラテレビ小説(TBS) |
放送分 | 20分 |
物語
編集流行作家・佐藤紅緑の娘として生まれた愛子が、恵まれた女学校時代を芦屋で過ごすところから始まり、父が選んだ軍人との結婚、戦争、農業生活、夫のモルヒネ地獄、離婚など[1]が、物語の前半に描かれている。
ここまででも、相当に波瀾に飛んだ人生だ。その後が作家修行の話である。
結婚を解消した彼女は聖路加病院に勤めながら小説を書きはじめ、やがて同人誌「文芸首都」に参加する。小説『愛子』はそこで終わっているが、ドラマの方は、愛子が『戦いすんで日が暮れて』を書いて直木賞を受けるところまで[2]を描いている。
エピソード
編集当該番組のプロデューサー(番組の総責任者。俳優の確保、脚本、演出などのすべてにわたり手腕を振るう)を務めた堀川とんこうは、取材のために、原作者である作家・佐藤愛子から直接話を聞くことも多かった。
「兄のハチロー(詩人のサトウハチロー)は、あんなパン屋のオッサンみたいなアホ面じゃありません!」
放送中は、佐藤愛子からしょっちゅうそういうお叱りの電話がかかった、と堀川は述懐する。
「あのシーンであの俳句を使ったのでは、季語が違います。紅緑(佐藤愛子の父親・佐藤紅緑。大衆小説家で俳人)はちゃんとした俳人でした。許しがたい間違いです!」
父・紅緑や兄・ハチローの描き方では、冷や汗をかくことが多かった。
堀川とんこうはTBS時代、『安ベエの海』(1969年)、『愛子』(1973年)という佐藤愛子原作のテレビドラマと関わった。前者はプロデューサー助手として、後者ではプロデューサーだった。『安ベエの海』は、佐藤愛子の初期の短編小説で芥川賞候補ともなった『加納大尉夫人』が原作だ。当該『愛子』は、やはり佐藤愛子の自伝的小説である。堀川は、佐藤愛子の自宅を時々訪れては、取材などを行うようになっていた。
キャスト
編集- 佐伯愛子:杉田景子
- 母・佐伯華:渡辺美佐子
- 姉・佐伯さつき:ひし美ゆり子
- 父・佐伯緑堂:垂水悟郎
- 夫・野々村圭太:大門正明
- 森貝珠夫:岡田祐介
- 大曽根研:誠直也
- 春吉:蟹江敬三
- 山科:秋吉久美子
- カンパチ:池田和歌子
- マンダ:菅本烈子
- ハナ:菅井きん
- 三郎:朝比奈尚之
- ばあや:新村礼子
- 二郎:黒木進
- 一郎:柏木隆太
- 扇谷敏(遠藤周作の子供時代)
スタッフ
編集TBS制作 ポーラテレビ小説 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
薩摩おごじょ
(1973.4.2 - 9.29) |
愛子
(1973.10.1 - 1974.3.30) |
やっちゃば育ち
(1974.4.1 - 9.28) |
脚注
編集- ^ https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000002955040-00 左記は、国会図書館オンラインの検索結果である。ここに、佐藤愛子著『血脈』上巻、の詳細情報が記載されている。スペース上ここでは省くが、中巻、下巻が存在する。この『血脈』によると、佐藤愛子は軍人と結婚をした。陸軍航空本部勤務の、飛行場設営隊の主計将校である。夫の実家は、岐阜県恵那市で医業を営んでいる。夫の赴任地は、長野県伊那市である。その市内の高原に、陸軍は秘匿飛行場を建設しようとしていた。佐藤愛子も夫に同伴し、伊那市内に間借りする。夫は、軍隊生活で、原因不明の腹痛を訴え、軍医は、対症療法として、モルヒネを投与した。その結果、夫は、モルヒネ中毒になってしまった。戦後となり、夫婦は、夫の健康な生活を取り戻す意味もあって、現在の千葉県柏市に、開拓農家として、一時期、定住する。だが、妻である佐藤愛子の目を盗んでは、夫はモルヒネをやった。これ以上将来が望めないと悟った佐藤愛子は、2人の子供を夫の実家(岐阜県恵那市)に預け、自らは、夫と別居する。その間に、夫は亡くなってしまう。つまり死別である。(法律上は離婚なのだろうか)波乱万丈の愛子の人生である。愛子は、まだ三十路前であった。以上は、『血脈』の内容である。『血脈』は、佐藤愛子の「あとがき」によると、暴露本とも言われかねない要素を孕んでいる。つまり、人生の出来事という観点では、すべて事実を語っている。
- ^ https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000002955040-00 左記は、国会図書館オンラインの検索結果である。ここに、佐藤愛子著『血脈』上巻、の詳細情報が記載されている。スペース上ここでは省くが、中巻、下巻が存在する。この『血脈』によると、佐藤愛子は、夫と死別して以降、青春をやり直す。20代の愛子は、戦争のため、若い女性らしい生活を謳歌することはできなかった。愛子はまだ三十路手前である。「文芸首都」という純文学の同人に加入し、そこで、夫となる田畑麦彦と出会う。田畑麦彦は小説で新人賞を取ったものの、その後、会社経営に乗り出す。田畑の金銭感覚は常人のそれとは異なり、結局彼は莫大な借金を抱えてしまう。妻に迷惑をかけてはいけないと、妻である愛子とは偽装離婚をする。愛子もその考えに賛成だった。だが、田畑はその直後、銀座で飲食店を営む女性とちゃっかり入籍をしてしまう。人のいい佐藤愛子は、そんな状況下、借金の返済のために奔走する。全国のテレビでご意見番のようなコメンテーターを務め、それ以外は、金のために、ひたすら文章を書く。そんな作品が図らずも直木賞と取ってしまう。借金返済の奮戦記だ。400字詰め原稿用紙で50枚ほどの短編小説である。佐藤愛子は46歳になっていた。直木賞作家佐藤愛子の誕生だ。以上は『血脈』の内容である。『血脈』は、佐藤愛子の「あとがき」によると、暴露本とも言われかねない要素を孕んでいる。つまり、人生の出来事という観点では、すべて事実を語っている。