初期仏教における(い)、マナス(Manas,パーリ語: मनस्)とは、経蔵において心を指す仏教用語六根のひとつ[1]。仏教およびインド哲学では、西洋の五感にプラスして第六感を挙げる。

仏教用語
意, マナス
パーリ語 मनस्
(manas)
サンスクリット語 मनस्
(IAST: manas)
中国語
日本語
(ローマ字: i)
英語 Manas
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仏教で心を指す用語には、意(Manas)の他に(Citta)と(viññāṇa)がある[2]

分類

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六根の一つに意根があり、知覚器官としてを官能する。意根によって生じる意識(mano-vijnana)とよび、六識のひとつである。

瑜伽行唯識学派では八識を説き、七つめが末那識(マナ識,マナス識)である[2]

脚注

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  1. ^ 中村元他『岩波仏教辞典』岩波書店、1989年、851頁。ISBN 4-00-080072-8 
  2. ^ a b 佐久間秀範「瑜伽行派の実践理論が教義理論に変わる時」『哲学・思想論集』第31巻、164-150頁、NAID 120000840407 

関連項目

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