恵さかえ
恵 さかえ(めぐみ -)とは元宝塚歌劇団花組組長。東京都出身。宝塚歌劇団時代の愛称はマヒ。宝塚歌劇団入団時の芸名は恵 ゆたか(めぐみ -)であった。
来歴
編集1943年に33期生として、宝塚音楽舞踊学校(現在の宝塚音楽学校)に入学し、1945年に宝塚歌劇団入団。初舞台公演演目は『グラナダの薔薇』であった。宝塚入団時の成績は15人中13位[1]。
1975年に花組組長に就任し、1983年に退任。同年、専科に異動。
人物
編集宝塚歌劇団時代の主な舞台
編集- 『南の哀愁』デュエット(1964年)
- 『ユンタ』島の娘(1964年)
- 『ボン・ビアン・パリ』オルタンシア夫人(1965年)
- 『ファンタジア』踊る女(1966年)
- 『霧深きエルベのほとり』ベロニカ(1967年)
- 『オクラホマ!』牧葉の娘(1967年)
- 『アディオ・アモーレ』スピーナ夫人(1967年)
- 『ラプソディ』アンナ夫人(1968年)
- 『人魚姫』女王(1971年)
- 『ゴールド・ヒル』ジュリー(1971年)
- 『さらばマドレーヌ』モントレー侯爵夫人(1972年)
- 『霧深きエルベのほとり』ベロニカ(1973年)
- 『ベルサイユのばら』サンプリースト侯爵夫人(1974年)
- 『ベルサイユのばら -アンドレとオスカル-』ランバール公爵夫人(1975年)
- 『あかねさす紫の花』斉明天皇(1976年)
- 『ル・ピエロ』デコレーションの女(1977年)
- 『風と共に去りぬ』メリーウェザー夫人(1978年)
- 『風と共に去りぬ』ミード夫人(1978年:福岡市民会館、小倉市民会館)
- 『夜明けの序曲』亀吉(1982年)
- 『霧深きエルベのほとり』ザビーネ(1983年)
- 『花供養 』よし(1984年:宝塚バウホール)
- 『愛あれば命は永遠に』レッティツィア(1985年)
- 『レビュー交響楽』ルイーゼ・ジーグフェルド(1986年)
- 『別離の肖像』皇太后陛下(1987年)
- 『ベルサイユのばら -フェルゼンとマリー・アントワネット編-』マリア・テレジア(1989年)
- 『川霧の橋』扇寿恵(1990年)
脚注
編集- ^ a b c d 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』、阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、P41。ISBN 9784484146010
- ^ 歌劇1997年5月号えと文 岸香織「聞いて頂戴こんな話」