恩州

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恩州(おんしゅう)は、中国にかつて存在した

広東の恩州

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本節では、唐代に現在の広東省江門市および陽江市にまたがる地域に設置された恩州について述べる。

621年武徳4年)、唐が蕭銑を平定すると、高涼郡を廃止して高州都督府を置いた。649年貞観23年)、高州都督府は廃止されて、恩州が置かれた。742年天宝元年)、恩州は恩平郡と改称された。758年乾元元年)、恩平郡は恩州と改称された。恩州は嶺南道に属し、恩平杜陵陽江の3県を管轄した[1]

1048年慶暦8年)、北宋により河北の貝州が恩州と改称されたため、広東の恩州は南恩州と改称された[2]

河北の恩州

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本節では、宋代に現在の河北省山東省の省境に設置された恩州について述べる。

唐の貝州を前身とする。1048年、北宋により貝州が恩州と改称された。恩州は河北東路に属し、清河武城歴亭の3県を管轄した[3]

のとき、恩州は大名府路に属し、歴亭・武城・清河・臨清の4県と漳南・新安楽・旧安楽・王杲・武城・曹仁の6鎮を管轄した[4]

初に清河県が大名府の属県に移され、武城県が高唐州の属県に移されたため、恩州は歴亭県と司候司を管轄するのみとなった。1265年至元2年)、歴亭県と司候司も廃止されて恩州に編入された。恩州は中書省に属した[5]

1369年洪武2年)、により恩州は恩県に降格した[6]

遼の恩州

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本節では、遼代に現在の内モンゴル自治区カラチン旗に設置された恩州について述べる。

遼の太宗耶律堯骨のとき、恩州が置かれた。初めは永興宮に属し、後に中京大定府に属した。恩化県1県を管轄した[7]。金代に廃止された。

脚注

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  1. ^ 旧唐書』地理志四
  2. ^ 宋史』地理志六
  3. ^ 『宋史』地理志二
  4. ^ 金史』地理志下
  5. ^ 元史』地理志一
  6. ^ 明史』地理志二
  7. ^ 遼史』地理志三