性海霊見
性海霊見(しょうかいれいけん)は、南北朝時代から室町時代の臨済宗の僧。出生は信濃国水内郡善光寺横山。俗姓は橘氏。
性海霊見 | |
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正和4年 - 応永3年3月21日 (1315年 - 1396年4月29日) | |
号 | 不還子、昨夢など[1] |
生地 | 信濃国水内郡 |
宗旨 | 臨済宗 |
師 | 虎関師錬 |
弟子 | 明江聖悟、東岳霊文、越叟聖超、済川、聖芸[2] |
著作 | 『性海霊見遺稿』、『石屏拾遺』 |
経歴・人物
編集南禅寺住持の虎関師錬に師事し、その法を嗣ぐ[1]。康永2年/興国4年(1343年)元へ渡り、のち帰国すると足利義詮に招かれ京都三聖寺の住持となる[1]。そののち東福寺、天竜寺、南禅寺などの住持を歴任した[1]。明徳5年(1394年)細川満春の求めにより伝明兆筆『大道一以像』[注釈 1]に着賛する。関連して著書である『性海霊見遺稿』にも画賛がのる[注釈 2]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- 「郷土歴史人物事典 長野」第一法規 1978年