荘穆王后(そうぼくおうこう)は、高麗の第25代王忠烈王の正妃。モンゴル人で、本名は忽都魯掲里迷失(クトゥルク=ケルミシュ)。の世祖クビライの娘で、1274年5月に忠烈王に降嫁される[1]

荘穆王后
高麗王后

全名 忽都魯掲里迷失
別称 元成公主
安平公主
斉国大長公主
荘穆仁明王后
仁明王太后
出生 憲宗9年6月28日
1259年7月19日
モンゴル帝国
死去 大徳元年5月21日
1297年6月11日
開京
埋葬 高陵
配偶者 忠烈王
子女 忠宣王
父親 クビライ
母親 阿速真可敦
テンプレートを表示

1275年9月に生まれた長男の益知礼普花(イジリブカ)は高麗の第26代王となった忠宣王である。同年に高麗より元成公主、1294年に元より安平公主に封じられた。没後には、高麗より荘穆仁明王后、仁明王太后と追号され、1310年に元において斉国大長公主を追封された[1]

家族

編集

夫の忠烈王との間で2男1女を儲けたが、長男の忠宣王以外の子女は早世し、詳細は分からない。

登場作品

編集

テレビドラマ

編集

脚注

編集
  1. ^ a b 森平雅彦 2008, pp. 12

参考文献

編集
  • 森平雅彦「高麗王家とモンゴル皇族の通婚關係に關する覺書」『東洋史研究』第67巻第3号、東洋史研究会、2008年12月、363-401頁、doi:10.14989/152117NAID 40016449497