志道 元勝(しじ もとかつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将毛利氏家臣で長州藩士。父は志道元保

 
志道元勝
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 永禄5年(1562年
死没 慶長7年6月28日1602年8月15日
別名 通称:太郎次郎→太郎左衛門尉
主君 毛利輝元
長州藩
氏族 大江姓毛利氏庶流志道氏
父母 父:志道元保
兄弟 元規椙杜元縁元勝
吉原元親の娘
元治
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生涯

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永禄5年(1562年)、毛利氏家臣・志道元保の三男として生まれる。

天正12年(1584年6月27日毛利輝元から河野通直への使者を務める命を受ける。

慶長2年(1597年)から始まる慶長の役に従軍して朝鮮へ渡海。蔚山城普請に加わり、第一次蔚山城の戦いを戦った。慶長3年(1598年1月27日、輝元は「蔚山での打ち続く苦労は言いようも無い。涯分油断無く帰国することが肝要である」との書状を、安国寺恵瓊を使者として元勝へ送っている。

慶長7年(1602年6月28日に死去。享年41。同年7月26日に嫡男の志道金太郎(後の志道元治)家督を継いだ。

参考文献

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