志筑忠雄

江戸時代長崎の蘭学者

志筑 忠雄(しづき ただお、宝暦10年〈1760年〉- 文化3年7月3日1806年8月16日〉)は、江戸時代長崎蘭学者阿蘭陀稽古通詞(のち辞職)。

鎖国論、写本(江戸後期)

人物・生涯

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天文物理オランダ語文法、地理誌・海外事情といった分野を中心に、蘭書を底本とした各種和訳書を成した。

本姓中野氏、通称忠次郎、字季飛。名をはじめは盈長、後に忠雄とし、柳圃と号した。長崎で三井の用達を業としていた三代中野用助の五男として生まれ[1]、養父孫次郎の養子として阿蘭陀通詞志筑本家8代を継いだ。志筑の経歴については長年『長崎通詞由緒書』の情報をもとに、阿蘭陀通詞志筑家の養子となり、安永5年(1776年)には稽古通詞となったが、その翌年病身を理由に辞職し、阿蘭陀通詞で西洋天文学に精通していた本木良永に師事したと信じられてきた[2]。近年の研究成果によって、志筑は少なくとも天明2年(1782年)まで稽古通詞を務めていたことが究明された[3]。また、天明6年(1786年)5月まで同職を務めていた可能性も指摘されている[4]

その生涯は蘭書翻訳に身を捧げる一方、多病であったようである。大槻玄幹1785年 - 1837年:玄沢の息子)、杉田玄白新宮凉庭1787年 - 1854年)らの諸著述において、志筑は若くして病気を理由に阿蘭陀稽古通詞を辞し、隠居して人との交わりをできるだけ絶ち、およそ政治や現実問題とは無縁な生き方をしながら蘭書に没頭する人物として描かれている。

大正5年(1916年)、従五位を追贈された[5]

業績・評価

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志筑の著作は主に写本で伝わり、現在までに確認されているものは40点以上にのぼる[6]。それらの中にはいつ成立したのか、いつ写されたのかが不明のものも少なくない。

著述の半分近くは西洋天文・物理学関係の蘭書からの訳出で、「引力」や「遠心力」などの言葉を創出し、ニュートン物理学を初めて日本に導入することとなった『暦象新書』[7](1802成)がその代表的な仕事である。ジョン・ケイルの翻訳とホイヘンスなどを参照にしつつ書いた自らの注釈であり、無限小概念や逆2乗の法則などに基づいてケプラーの第三法則などを基礎づけ、地動説を強固にするのには十分な内容で、自ら気圧を測る実験を行う記述もある[8][9][10]

次に多いのはオランダ語文法に関するもので約3割を占める。蘭書の各種オランダ語文典に基づいて編まれた志筑の著作群は、「品詞」概念を初めて導入するなど日本のオランダ語学のレベルを飛躍的に向上させた。なお、オランダ語文法学関連の著作は、『暦象新書』が完成した1802年以降、志筑の晩年に成されたものが大半である[11][12]。前二者に比べると数は多くないが、世界地理や海外事情に関する和訳も認められる。「鎖国」という言葉を生み出した『鎖国論』(1801成)がこの分野の主たる作品である。

蘭学以外、すなわち漢学や国学などの素養については、志筑のキャリアのうち最初期に成された世界の地理・事情に関する雑記帳『万国管闚』(1782序)から、その序文が山崎闇斎編『朱書抄略』(1681刊)に基づいていることが見て取れるとともに[13]、享和3年(1803年)後半から文化2年2月の間に編まれたと目される蘭文和訳論「蘭学生前父」(オランダマナビウマレヌサキノチチ)において、志筑がオランダ語和訳の理念的側面には荻生徂徠『訳文筌蹄』、和訳の実践的側面には本居宣長の言語学を援用していることが明らかにされている[14]

全般的に志筑訳書の内容と豊富さから西洋科学に対する志筑の熱意が感じとられるが、一方でエンゲルベルト・ケンペル日本誌』のオランダ語第2版(1733)の巻末附録の最終章を訳出した写本『鎖国論』(1801成)に志筑が付した注釈には排外的な側面も見られ、矛盾葛藤する両面を見せている。ロシアシベリアを併有したくだりを訳出した志筑初めての政治的訳書『阿羅祭亜来歴』(1795成)では、イエズス会関係の記事や未知の知識の翻訳を避けるものの基本的には原文に沿って忠実に訳していることから、『阿羅祭亜来歴』成立から『鎖国論』成立までの6年の間に、志筑にとっての西洋がただに憧憬を抱く対象であるのみならず、並行して嫌悪も覚える対象に変化したことが指摘されている[15]

なお、これまでに発掘されている一次史料が乏しいことから、志筑忠雄の周辺事情についての追究は難しい状況にある[16]

主な訳著書

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  • 『万国管闚』1782年 - 大航海時代のいくつかの旅行記から和訳抜き書きした雑記帳。日本で初めてコーヒーについて言及したと言われる。
  • 『八円儀及其用法之記』1798年 - Cornelis Douwes: Beschryving van het Octant.(1749年)の和訳。
  • 鎖国論1801年 - エンゲルベルト・ケンペル1651年 - 1716年、ドイツ人医師)著『日本誌』(1727年)のオランダ語版Beschryving van Japanの1733年第2版の付録第6章「Onderzoek, of het vanbelang is voor ’t Ryk van Japan om het zelve geslooten te houden, gelyk het nu is, en aan desselfs Inwooners niet toe te laaten Koophandel te dryven met uytheemsche Natien ’t zy binnen of buyten ’s Lands.」(日本国において自国人の出国、外国人の入国を禁じ、又此国の世界諸国との交通を禁止するにきわめて当然なる理)を訳出したもの。この和訳によって「鎖国」という言葉が誕生したと考えられている。
  • 『暦象新書』(上編、中編・下編)1798年から1802年 - 原著はジョン・ケイル(John Keill, 1671年-1721年)の『真正なる自然学および天文学への入門書』(Introductiones ad Veram Physicam et veram Astronomiam)(1725年)のオランダ語版Inleidinge tot de waare natuur-en sterrekunde, of de natuur-en sterrekundige lessen van den heer Johan Keill ... : waar by gevoegt zyn deszelfs verhandelingen over de platte en klootsche driehoeks-rekeninge, over de middelpunts-kragten en over de wetten der aantrekkinge(1741年)の翻訳。アイザック・ニュートンヨハネス・ケプラーの生んだ法則概念÷といった記号を日本に紹介し、「遠心力」、「求心力」、「重力」、「加速」、「楕円」という語を生んだ書[17]
  • 『二国会盟録』1806年 - プレヴォ『旅行記集成』の蘭語版(Abbé Prévost: Historische Beschryving der Reizen. 1761)の中から、ネルチンスク条約締結現場に同行したジェルビヨン(フランス人宣教師)の紀行文を訳出したもの。
  • 『三角算秘伝』 - 「ネイピアの法則」を日本に最初に紹介したとされる書。
  • 『三種諸格』 - 1803年後半から1805年2月の間に成立。オランダ語における名詞のを中心に文法を説いた書。各種オランダ語文典に基づいて編まれた。
  • 『蘭学生前父』 - 1803年後半から1805年2月の間に成立。実例を交えながらオランダ語文の和訳法を説いた書。翻訳の理念面に荻生徂徠を、実践面に本居宣長の言語学を援用している。漢文まがいのいわゆる「欧文訓読」的な翻訳を批判し、初めてオランダ語をオランダ語として理解し、その性質を分析した上でその適切な和訳を説いた、日本史上初の「欧文和訳論」である。

脚注

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  1. ^ 松尾龍之介 (2009). “(研究ノート)志筑忠雄の実家―中野家に関するノート”. 『洋学史研究』 第26号: pp. 105-111.. 
  2. ^ 渡辺庫輔『阿蘭陀通詞志筑氏事略』、p. 31 - 35。
  3. ^ 原田博二「阿蘭陀志筑家について」、p. 24 - 25。
  4. ^ イサベル・田中・ファン・ダーレン「オランダ史料から見た長崎通詞 - 志筑家を中心に -」、p. 32 - 34。
  5. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.42
  6. ^ 鳥井裕美子「志筑忠雄の生涯と業績 - 今なぜ志筑忠雄なのか?」、および大島明秀『「鎖国」という言説 - ケンペル著・志筑忠雄訳『鎖国論』の受容史 - 』、p. 68 - 69、表3参照。
  7. ^ 暦象新書. 上,中,下編”. 早稲田大学図書館. December 14, 2020閲覧。
  8. ^ 大森 実「『暦象新書』の研究 : 主としてその物理学について」『法政史学』第15巻、法政大学史学会、1962年、doi:10.15002/00010679 
  9. ^ 久保誠『阿蘭陀通詞 志筑忠雄の思想 : 近世日本における統一的宇宙観の展開』 聖学院大学〈博士(学術) 甲第024号〉、2013年。NAID 500000731339http://id.nii.ac.jp/1477/00001953/ 
  10. ^ 『日本哲学思想全書 第6巻(科学 自然篇)』平凡社、1956年。全国書誌番号:51002270 
  11. ^ 大島明秀志筑忠雄「三種諸格」の資料的研究」『シーボルト記念館鳴滝紀要』第28巻、シーボルト記念館、2018年、7-21頁、CRID 1050845760837585024ISSN 0918-0087 
  12. ^ 大島明秀 2019, p. 39, 表1.
  13. ^ 大島明秀「志筑忠雄「万国管闚」の文献学的研究」『雅俗』第17巻、雅俗の会、2018年7月、52-72頁、CRID 1050845763336305792hdl:2324/2328864ISSN 13437577 
  14. ^ 大島明秀 2019, p. 37-54.
  15. ^ 大島明秀「志筑忠雄「阿羅祭亜来歴」の訳出とその書誌」『雅俗』第12巻、雅俗の会、2013年7月、33-47頁、CRID 1050001335882491392hdl:2324/1449085ISSN 1343-7577 
  16. ^ 「概要」の記述は、全て大島明秀『「鎖国」という言説 - ケンペル著・志筑忠雄訳『鎖国論』の受容史 - 』に拠って記された。
  17. ^ 吉田光邦『江戸の科学者たち』p. 156

参考文献(和文)

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  • イサベル・田中・ファン・ダーレン「オランダ史料から見た長崎通詞―志筑家を中心にー」、『蘭学のフロンティア―志筑忠雄の世界』(志筑忠雄没後200年記念国際シンポジウム報告書)、長崎文献社、長崎、2007年、pp. 28-43。ISBN 978-4-88851-079-0
  • 大島明秀『「鎖国」という言説―ケンペル著・志筑忠雄訳『鎖国論』の受容史―』、ミネルヴァ書房、京都、2009年、全524頁。ISBN 978-4-6230-5312-4
  • 大島明秀「志筑忠雄訳「鎖国論」の誕生とその受容」、『蘭学のフロンティアー志筑忠雄の世界』、長崎文献社、2007年、pp. 110 - 122。
  • 大島明秀「津市図書館稲垣文庫蔵「柬砂葛記」について―志筑忠雄訳「阿羅祭亜来歴」の一転写本―」、『国文研究』第59号、2014年、pp. 1-13。
  • 大島明秀「伝吉村迂斎序を付したのは誰か―志筑忠雄「暦象新書」受容史の一駒―」、『文彩』第15号、2019年、pp. 24-31。
  • 大島明秀「泉屋家旧蔵「オランダ語文法書」と志筑忠雄「助詞考」」、『鳴滝紀要』第29号、2019年、pp. 1-8。
  • 大島明秀「神戸市立博物館蔵、有志筑忠雄序「万国管闚」について」、『国文研究』第64号、2019年、pp. 51-68。
  • 大島明秀「蘭文和訳論の誕生 : 志筑忠雄「蘭学生前父」と徂徠・宣長学」『雅俗』第18巻、雅俗の会、2019年7月、37-54頁、CRID 1390574798849063936doi:10.15017/4061064hdl:2324/4061064ISSN 1343-7577 
  • 小林龍彦「中野忠雄輯「三角算秘傳」について」、『鳴滝紀要』第10号、2000年、pp. 1-13。
  • 杉本つとむ『江戸時代蘭語学の成立とその展開―長崎通詞による蘭語の学習とその研究』、早稲田大学出版部、1976年。
  • 鳥井裕美子「志筑忠雄の生涯と業績―今なぜ志筑忠雄なのか?」、『蘭学のフロンティア―志筑忠雄の世界』、長崎文献社、2007年、pp. 7-17.。
  • 原田博二「阿蘭陀通詞志筑家について」、『蘭学のフロンティア―志筑忠雄の世界』、長崎文献社、2007年、pp. 20-27。
  • 松尾龍之介『長崎蘭学の巨人ー志筑忠雄とその時代 - 』、弦書房、2007年。ISBN 978-4-902116-95-3
  • 松尾龍之介「(研究ノート)志筑忠雄の実家―中野家に関するノート」、『洋学史研究』第26号、2009年、pp. 105-111。
  • 吉田忠「「暦象新書」の研究(一)」、『日本文化研究所研究報告』第25号、1989年、pp. 107-152。
  • 吉田忠「「暦象新書」の研究(二)」、『日本文化研究所研究報告』第26号、1990年、pp. 143-176。
  • 吉田忠「中天游の『暦象新書』研究」、『適塾』第37号、2004年、pp. 78-89。
  • 吉田忠「志筑忠雄―独創的思索家―」、ヴォルフガング・ミヒェル鳥井裕美子川嶌眞人 共編『九州の蘭学―越境と交流』、思文閣出版、京都、2009年、pp. 102-108。ISBN 978-4-7842-1410-5
  • 吉田光邦『江戸の科学者たち』社会思想社(現代教養文庫)、1969年。
  • 渡辺庫輔『阿蘭陀通詞志筑氏事略』、長崎学会、長崎、1957年。

外部リンク

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