徽安門院一条
南北朝時代の宮廷女官・女流歌人。光厳天皇の後宮(子に義仁親王(-1413.2.24?1415?、正親町宮、三品))
徽安門院一条(きあんもんいんのいちじょう、生没年不詳)は、南北朝時代の宮廷女官・女流歌人。本名は不詳。
正親町公蔭の娘で、母は北条久時の娘。徽安門院寿子内親王(花園天皇皇女・光厳天皇後宮)に仕えて一条局(いちじょうのつぼね)と名乗る。その後光厳院の寵愛を受けて義仁親王(正親町宮)を産む。
後期京極派の歌人で、康永2年(1343年)冬以前の院六首歌合に出詠。また貞和百首・延文百首にも和歌が収録されている。『風雅和歌集』以後の勅撰和歌集に22首入集。家集『徽安門院一条集』を残す。
参考文献
編集- 岩佐美代子『風雅和歌集全注釈』笠間書院、2003年。
- 芳賀登他監修『日本女性人名辞典』 日本図書センター、1993年。