徳次郎城
徳次郎城(とくじらじょう)は、栃木県宇都宮市徳次郎町にあった中世の日本の城。
徳次郎城 (栃木県) | |
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本丸跡(2020年8月) | |
別名 | 御城山[1] |
城郭構造 | 平城 |
築城主 | 新田昌言 |
築城年 | 不詳 |
主な城主 | 新田氏 |
廃城年 | 1597年(慶長2年) |
遺構 | 土塁、堀 |
指定文化財 | 市指定史跡[2] |
位置 | 北緯36度38分55秒 東経139度50分56秒 / 北緯36.64861度 東経139.84889度座標: 北緯36度38分55秒 東経139度50分56秒 / 北緯36.64861度 東経139.84889度 |
地図 |
概要
編集徳次郎城は、後北条氏と手を結んで宇都宮侵攻を企てる日光山僧兵の動きを封じるために、戦国時代に宇都宮国綱の家臣であった新田徳次郎昌言によって築かれたと云われている平城である。宇都宮氏は徳次郎城から北方へ日光街道に沿った6 kmという短区間に、下横倉城、寅巳山城、石那田城、猪倉城と過剰なほど支城を建設したが、真の目的は篠井金山を守るためだったという説もある[3]。
構造
編集現在残されている遺構は東西200m、南北400m程度の長方形の縄張りである。城跡の東側を田川が流れ、田川の段丘上に構築されている。全部で5つの曲輪から成り、それぞれの曲輪間は幅10m、高さ4m以上の空堀で分けられている。さらに本曲輪の周囲には空堀に加え土塁が構築され、さらに北側と東側の空堀は二重に巡らされている。
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外堀
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三の丸跡
脚注
編集参考文献
編集- 島遼伍『下野街道物語 大いなる栃木の街道をゆく』下野新聞社、1999年9月1日、175頁。ISBN 4-88286-105-4。