徳川 泰子(とくがわ ひろこ[1])は、貴族院議長・徳川家達夫人。

とくがわ ひろこ

徳川 泰子
生誕 慶応3年9月24日1867年10月21日
死没 昭和19年(1944年3月13日
肩書き 日本赤十字社篤志看護婦人会会長ほか
配偶者 徳川家達
子供 家正、綾子、綏子、繁子
父:近衛忠房、母:光子(島津久光長女)
家族 兄弟姉妹:近衛篤麿泰子津軽英麿常磐井堯猷
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生涯

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慶応3年(1867年)9月24日、近衛忠房の長女として生まれた[2][1]。母は光子(島津斉彬の養女、島津久長の娘)[3]

徳川宗家16代目を継承した家達と婚約し、千駄ヶ谷の徳川邸で義伯母(父系では従伯母)にあたる天璋院の訓育を受けた。1882年明治15年)、成婚。1884年(明治17年)、嫡男家正を産み、他に綏子ら三女を儲けた[1]

日本赤十字社篤志看護婦人会会長(1936年(昭和11年)1月31日 - 1944年(昭和19年)3月13日)[4]撫子会会長、愛国婦人会理事を務めた[2]日露戦争後、勲四等宝冠章を受章した[2]

1944年(昭和19年)3月13日、死去[4]。同年4月15日、上野寛永寺で追悼法要が行われた[4]

子女

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(出典:『現代華族譜要』[1]

登場作品

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テレビドラマ

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脚注

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参考文献

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  • 維新史料編纂会 編『現代華族譜要』日本史籍協会、1929年1月15日。NDLJP:1879484  
  • 『日本赤十字社社史稿 昭和11年〜昭和20年』 第5巻、日本赤十字社、1969年4月1日。NDLJP:9545981 (要登録)
  • 芳賀登一番ヶ瀬康子中嶌邦祖田浩一(監修)『日本女性人名辞典』日本図書センター、1993年6月25日。ISBN 4-8205-7128-1