徳島市内町小学校
徳島県徳島市にある小学校
(徳島市立内町小学校から転送)
徳島市内町小学校(とくしまし うちまちしょうがっこう)は、徳島県徳島市徳島町城内にある公立小学校。
徳島市内町小学校 | |
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南にある車両用の門。右の建物は体育館。左奥は徳島市立体育館。 | |
北緯34度4分33.9秒 東経134度33分2.3秒 / 北緯34.076083度 東経134.550639度座標: 北緯34度4分33.9秒 東経134度33分2.3秒 / 北緯34.076083度 東経134.550639度 | |
過去の名称 |
南校 共立南小学校 洪化小学校 寺島小学校 公立寺島小学校 寺島尋常小学校 徳島市寺島尋常小学校 徳島市寺島国民学校 徳島市内町国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 徳島市 |
校訓 | 至誠 |
設立年月日 | 1871年 |
創立者 | 蜂須賀茂韶 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B136220100015 |
所在地 | 〒770-0851 |
徳島県徳島市徳島町城内1番地15 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集北東西の三方を徳島中央公園に囲まれており、西には徳島市立体育館、東には城山(徳島城跡)がある。城山は学校行事にも使用される。徳島城の石垣が塀の一部として再利用されている。南には道を挟んで徳島運転所がある。学校は徳島駅に隣接しているが、北側(学校側)に旅客用の出入り口がないため、駅から遠回りしなければならない。
校訓
編集- 至誠
沿革
編集- 1871年 - 蜂須賀茂韶が南校を創立。
- 1872年 - 廃校となり共立南小学校として開校。
- 1873年 - 洪化小学校と改称。
- 1877年 - 寺島小学校と改称。
- 1879年 - 公立寺島小学校と改称。
- 1886年 - 寺島尋常小学校と改称
- 1893年 - 徳島市寺島本町西に移転。
- 1932年 - 徳島市寺島尋常小学校と改称。
- 1941年 - 徳島市寺島国民学校と改称。
- 1943年 - 徳島市内町国民学校と改称。
- 1947年 - 学校教育法公布により徳島市内町小学校と改名。
- 1950年3月26日 - 昭和天皇が行幸(昭和天皇の戦後巡幸)[1]。
- 1978年 - 徳島駅前再開発ビル(そごう徳島店・アミコ専門店街)建設のため、現在地に移転。
通学区域
編集- 徳島町、徳島本町、中徳島町、新蔵町、中洲町、幸町、寺島本町東、寺島本町西、元町、藍場町、一番町、八百屋町、通町、中通町、新内町、南内町、出来島本町、東出来島町、南出来島町、北出来島町、両国本町[2]
進学先中学校
編集交通
編集脚注
編集- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、104頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ a b 徳島市通学校区一覧表徳島市.2021年6月13日閲覧。
関連学校
編集- 徳島市内町幼稚園
- 徳島市徳島中学校