徳光のTVコロンブス』(とくみつのテレビコロンブス)は、1990年4月7日から1995年3月25日までテレビ東京系列局で放送されていたテレビ東京製作の情報番組である。放送時間は毎週土曜 21:00 - 21:54 (日本標準時)。

徳光のTVコロンブス
ジャンル 情報番組
出演者 徳光和夫
宇田川綾子
ほか
エンディング 「しあわせの涙」
「もう一度抱きしめて」
製作
製作 テレビ東京
放送
音声形式モノラル放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1990年4月7日 - 1995年3月25日
放送時間土曜 21:00 - 21:54
放送分54分
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概要

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関口宏が司会を務めていた前番組『テレビあッとランダム』のリニューアル版で、本番組では関口にとっては立教大学の先輩にあたる徳光和夫が司会を務めていた。徳光にとっては、TBSの『クイズダービー』(本番組より1週遅れて4月14日に2代目司会に就任)共々日本テレビ以外での最初の仕事であり、無論テレビ東京系列での初のレギュラー番組でもある。司会者は変わったが、放送内容は『テレビあッとランダム』の「街」のコンセプトを基本的には引き継ぎ(これが次番組『出没!アド街ック天国』にも引き継がれる)、番組セットも前番組からテイストを引き継ぎ新たなものを使用した。また、同時ネット局においては生放送というスタイルも変わらなかった(稀に録画放送の回もあった)。

『テレビあッとランダム』の人気企画だった「集団じゃんけん」も引き続き行っていたが、後期には徳光が出す3つの3択問題にパネラーが解答する「徳みっつクイズ」に変更。このクイズで3連続で正答したパネラーにはプレゼントを贈っていた。コーナータイトルの意味は、徳光曰く「問題3つでみっつ徳をする(得との語呂合わせと思われる)。題して徳みっつクイズ」。

エンディングでは、テレビ東京系列局と中継で結んで表彰状を渡す企画を行っていた。

番組終了時の提供クレジットは、筆頭スポンサーである日産自動車を表示するときには白をバックにした物になり[1]、それ以外のスポンサーを表示するときにはブルーバックになっていた。

番組は5年間続いた後1995年3月に終了。次番組の『出没!アド街ック天国』は収録番組であるため、10年半続いた土曜21時台の生放送番組も廃止された。なお、本番組の企画自体は翌4月から月曜日のゴールデンタイムに移してタイトルも『徳光和夫の情報スピリッツ』と改めて継承される事になった。同番組も同時ネット局では生放送であり、系列外への番販ネット(ただし放送する局は『TVコロンブス』と異なる地域もあった)も引き続き行われていた。

出演者

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司会

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パネラー

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エンディングテーマ

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ネット局

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同時ネット局

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当番組に限ったことではないが、岐阜放送・びわ湖放送・テレビ和歌山では、スポンサーを差し替えて放送していた(提供クレジットも、それぞれの局で自社送出)。

遅れネット局

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備考

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  • 当時『24時間テレビ』の総合司会を務めていた徳光は、同特番の放送日と重なった日でもメイン会場の日本武道館を抜けて本番組に出演していた。
  • 1991年6月には、番組冒頭で当時活発に火山活動していた普賢岳からの生レポートが放送された。遅れネット局での措置は不明。
  • エンディング間近に、日産グループ各社を紹介するCMを放送。そのうち一つは、「あッとランダム」末期から放送されていた「世界の恋人」のインストゥルメンタルバージョンをBGMに、ケニー・シャーフが作画し、アメリカロサンゼルスで撮影されたメリーゴーランドの映像のCMが放送されていた。

脚注

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  1. ^ 日産自動車のロゴをカラーで表示させるため、カラーで作られたフリップを撮影していたことによる。その他のスポンサーはテロップ表示だったため、バックの画像が異なっていた。
    ちなみに当時はテロップ表示のシステム上、フルカラーのテロップは表示出来なかったことから、このようにフリップを撮影してカラー表示の代替とするケースが多かった。
  2. ^ 1995年(平成7年)1月25日にリリースされた、若草恵編曲によるニュー・ヴァージョン。
  3. ^ 『北日本新聞』1990年10月1日付朝刊、テレビ欄。
  4. ^ 『北日本新聞』1990年5月19日付朝刊、テレビ欄。
テレビ東京系列 土曜21:00 - 21:54枠
前番組 番組名 次番組
テレビあっとランダム
(1984年10月27日 - 1990年3月31日)
徳光のTVコロンブス
(1990年4月7日 - 1995年3月25日)
出没!アド街ック天国
(1995年4月15日 - )