御田八幡神社
御田八幡神社(みたはちまんじんじゃ)は、東京都港区三田にある神社である。
御田八幡神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 東京都港区三田3-7-16[1] |
位置 | 北緯35度38分35.3秒 東経139度44分29秒 / 北緯35.643139度 東経139.74139度 |
主祭神 |
誉田別尊命 天児屋根命 武内宿禰命[1] |
社格等 | 式内社[1]・郷社 |
創建 | 和銅2年(709年)[1] |
例祭 | 8月15日 |
誉田別尊命(ほんだわけのみこと、八幡神)を主祭神とし、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、武内宿禰命 (たけのうちすくねのみこと)を配祀とする。
海側斜面に位置する。江戸時代には直ぐ正面に東海道が走り、その向こうは江戸湾の海浜が開け、さぞかし風光明媚であったと考えられる。明治40年代芝浦の埋め立てが始まりその面影を失うことになる。周囲の木々の剪定は最低限にとどめられ、あたり一面薄暗く蕭蕭とした雰囲気を漂わせている。裏手の高台には亀塚公園が隣接する。
平成21年には鎮祀1300年記念として、8月1日に式年例祭が、2日には御神輿渡御が斎行された。
歴史
編集和銅2年(709年)8月、東国鎮護の神として牟佐志国牧岡の地に祀られたのに始まる。寛弘7年(1011年)、武蔵国御田郷久保三田に遷座し、嵯峨源氏渡辺一党の氏神として尊崇された。延喜式神名帳には「武蔵国荏原郡 稗田神社(ひえだじんじゃ)」として記載されている。ただし、「延喜式内稗田神社」は、大田区蒲田の薭田神社・東六郷の六郷神社も論社となっている。
徳川家康の江戸城入城の際に奇瑞があったことから、現在地である荏原郡上高輪村海岸を開拓して社殿を造営し、寛文2年(1662年)8月に遷座が行われた。しかし、寛文8年2月の大火により社殿は全焼、仮殿が伊皿子坂薬師寺に置かれた。寛文12年8月に社殿が再建され再度遷座された。
慶応元年(1865年)に神祇官により延喜式記載の「稗田神社」に改称、明治5年(1874年)に「三田八幡神社」に改称し、郷社に列した。明治30年(1897年)に「御田八幡神社」に復した[1]。昭和20年の東京大空襲で寛文12年造営の社殿が焼失し、戦後の昭和29年に復興された。
建造物
編集- 社殿 - 本殿、幣殿、拝殿
- 境内神社 - 五光稲荷神社・御嶽神社
- 境内地 - 2975.9平方メートル
- 境内建物 - 神楽殿、手水舎、社務所
ギャラリー
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手水場
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石段
氏子地域
編集脚注
編集参考文献
編集- “御田八幡神社【八幡さま】”. 東京都神社庁. 2020年7月26日閲覧。
関連文献
編集- 斎藤幸雄「天枢之部 三田八幡宮」『江戸名所図会』有朋堂書店、1927年、261-264頁。NDLJP:1174130/137。