徐 志摩(じょ しま、1897年1月15日 - 1931年11月19日)は、中国詩人散文家で、「新月派」に属し、中国の詩の近代化に尽くした。

徐志摩

概要

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浙江省杭州府海寧州の裕福な家庭に生まれ、1915年浙江省立第一中学校を卒業後、上海浸信会学院で学んだ。1916年、北洋大学の予科に入り法律を学び、法律学部が北京大学に吸収合併されるとそこでも学び、その後アメリカクラーク大学コロンビア大学で学んだ。

1921年からはイギリスに渡りケンブリッジ大学キングス・カレッジで学んだ時期、ロマン派に傾倒し、いくつかの詩を中国語に訳したりした。1922年中国に帰り「新月社」を創設し、口語による詩作を行なって中国の詩の近代化に尽くした。1931年に飛行機事故で亡くなった[1][2]

徐志摩の有名な詩には「さらば、ケンブリッジよ」(《再別康橋》)があり [3]、2008年にはケンブリッジを流れるカム川(River Cam)のほとりにこの詩の最初の2行を記した大理石の石碑が建てられた。

1918年に張君勱張公権の妹にあたる張幼儀中国語版結婚し一子をもうけるが、イギリス留学中に林徽因と交際したことで夫婦関係が悪化し1922年に離婚。1926年に画家の陸小曼中国語版と再婚した。父の徐申如の従妹の徐禄は武侠小説を数多く物している金庸の母。

参照項目

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脚注

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  1. ^ 徐志摩
  2. ^ 徐志摩
  3. ^ 再別康橋(徐志摩)の朗読

外部リンク

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