後藤 昌次郎(ごとう しょうじろう、1924年1月15日 - 2011年2月10日[1])は岩手県出身の弁護士東京弁護士会所属)。

来歴・人物

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岩手県和賀郡黒沢尻町(現・北上市)生まれ。旧制黒沢尻中学校(現岩手県立黒沢尻北高等学校)卒業、旧制第一高等学校文科および理科卒業、東京大学法学部を経て、1954年弁護士となる。

かかわった主な事件として松川事件八海事件青梅事件土田・日石・ピース缶爆弾事件警視総監公舎爆破未遂事件、日大闘争警官傷害致死事件などがある。1992年に東京弁護士会人権賞受賞した。神戸連続児童殺傷事件では冤罪を主張しており、A少年を偽計による「自白調書」で逮捕・勾留した警察官・検察官を告発している。

草笛を趣味としていた[2]

松川事件の弁護活動中、収入が乏しく、四畳半一間で妻と子どもと生活している中で股関節炎の手術を行うために生活保護法の医療扶助を受けたため、「生活保護を受けながら刑事弁護を行った人物」と評判になるが、実は医療扶助のみを受けたことが大げさに伝わったと自ら訂正した[3]

2011年2月10日、慢性心不全腎不全のため東京都三鷹市の病院で死去。87歳没[1]

著書・編著

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脚注

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  1. ^ a b “後藤昌次郎氏死去 松川事件などの弁護士”. 共同通信社. (2011年2月14日). https://web.archive.org/web/20121221113650/http://www.47news.jp/CN/201102/CN2011021401000695.html 2011年2月14日閲覧。 
  2. ^ とっておきの一枚 草笛は野づらをわたり どこからここに、どこへ」(『法と民主主義』2005年6月号、執筆:佐藤むつみ)
  3. ^ 【陪審裁判を考える会2008.9.30】後藤昌次郎「酒鬼薔薇事件と刑事司法」」(Youtube 26:30以降)