張 至発(張至發、ちょう しはつ、1573年 - 1642年)は、明末の官員。
山東淄博の人。万暦29年(1611年)、科挙に合格して進士に及第し、庶吉士になった。天啓元年(1621年)、大理寺丞になった。
崇禎5年(1632年)から順天府丞に任ぜられ、庶民に褒めそやされた。崇禎10年(1637年)、首輔であった温体仁の辞職にともない、首輔を加えられた。しかし地方官の出身のため、中央官員から除外された。翌年、「機密外漏」で崇禎帝の不興を買って罷免され、帰郷した。少ないながら賞与を賜わったが、全額を淄博の工事のために寄付した。
崇禎14年(1641年)に再召されたが出仕せず、翌崇禎15年(1642年)に郷里で逝去した。