開封府の人。初め、高宗の紅霞帔[1]を務め、典字[2]に進んだ。その後、宮正に上った。
紹興28年(1158年)9月、永嘉郡夫人に封ぜられた。
乾道元年(1165年)7月、和国夫人に進んだ。その当時、高宗はすでに退位して太上皇となっており、帝位は養子の孝宗に譲っていた。
乾道6年(1170年)8月、太上皇婉儀[3]となった。淳熙7年(1180年)12月、太上皇淑妃に上った。
淳熙16年(1189年)、貴妃に進んだ。翌紹熙元年(1190年)、薨去した。
北宋末期、張真奴という開封の名妓がいて、優秀な舞妓と評された。同一人物の可能性も考えられている。
- ^ 皇帝の身分低い側女。品位がなかった。
- ^ 皇帝の側女、正八品。
- ^ 嬪の一つ。従一品。