張 琦(ちょう き、生没年不詳)は、明末清初の画家。は玉可。嘉興府秀水県[2]の出身。

費隠通容像自賛[1]絹本着色 萬福寺

略伝

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曽鯨に師法[3]し肖像画を得意とし、嘉興では他に並ぶ者がいないと称賛された。波臣派の重鎮であるが伝世作品は少ない。

費隠通容に帰依し玉可張居士を名乗った。「費隠通容像」は承応3年(1654年)に隠元隆琦によって日本にもたらされ、黄檗画像の原点となった。その後、同門の楊道真などがその画法を日本に広めた。

費隠通容の師の密雲円悟[4]曹洞宗の僧の覚浪道盛[5]などの禅僧の頂相の他、文人の肖像を多く手がけた。

作品

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 費隠50歳 (崇禎15年5月・1642年)の誕生日に祝賀として張琦によって画かれ、その法嗣となった隠元によって日本に将来された。
  2. ^ 『図絵宝鑑続纂』
  3. ^ 『国朝画微録』・『明画録』
  4. ^ 『費隠禅師語録』第13巻
  5. ^ 『天界覚浪盛禅師嘉禾語録』
  6. ^ 嘉興鍾秀里に隠遁中の項聖謨の依頼により合作する。項聖謨自身と董其昌陳継儒李日華魯得之釈智舷の五老との交遊を回顧して製作された。

出典

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