張我華
張 我華(ちょう がか)は中華民国の政治家。北京政府・国民政府に属した。
張 我華 | |
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Who's Who in China 4th ed. (1931) | |
プロフィール | |
出生: | 1886年(光緒12年) |
死去: |
1938年(民国27年)11月26日 中華民国 |
出身地: |
清 安徽省鳳陽府鳳陽県 (現:滁州市鳳陽県) |
職業: | 政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 張 我華 |
簡体字: | 张 我华 |
拼音: | Zhāng Wǒhuá |
ラテン字: |
Chang Wo-hua (Chang Ngo-hua) |
和名表記: | ちょう がか |
発音転記: | チャン ウォーホワ |
事跡
編集日本に留学し、明治大学法科を卒業している。留学中に中国同盟会に加入した。帰国後は吉林省法政学校教員、上海『神州日報』記者となっている。
1913年(民国2年)、参議院議員に当選する。二次革命(第二革命)に際しては上海に逃れた。1917年(民国6年)の護法運動に際しては、孫文らの護法軍政府に与し、大元帥府諮議となっている。翌年2月、大元帥府参議となった。1924年(民国13年)、参議院秘書長に任ぜられている。その翌年には全国煙酒事務署署長となった。
1928年(民国17年)からは国民政府に参加し、外交部条約委員会委員となる。翌年10月、外交部常務次長に昇進した。1930年(民国19年)4月、内政部常務次長に横滑りし、外交部条約委員会副会長も兼任している。同年12月、暫時ながら内政部部長代理をつとめた。1932年(民国21年)、各職を辞し、安徽省宣城に居住している。
日中戦争勃発後、張我華は抗敵後援会を組織した。しかし1938年(民国27年)11月26日、日本軍の空爆に遭遇、死亡した。享年53。
参考文献
編集- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国
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