張 凌翔(ちょう りょうしょう、Zhāng Língxiáng、? - 1864年)は、末の貴州省での回族蜂起の指導者。張翎翔とも書く。

貴州省普安県出身。清朝の収奪と民族差別により、1858年に張凌翔は馬河図とともに回民を率いて蜂起し、亦資孔城を占領した。白旗軍と呼ばれた彼らは各民族に呼びかけて、イ族の援助を得た。1859年、白旗軍は新城を占領して元帥府を建て、張凌翔を大元帥、馬河図を副元帥に選んだ。白旗軍は雲南省杜文秀政権と太平天国に連携を呼びかけた。白旗軍にはミャオ族も協力し、太平天国の石達開曽広依率いる数千人を派遣して援助した。これに対し、雲南布政使岑毓英は回民のアホン金万照を派遣して投降を誘ったが、金万照は逆に白旗軍に参加し、経略大臣に任じられた。白旗軍は貞豊興義冊亨晴隆興仁など10の県城を占領し、減税を行うなど善政を行った。しかし1864年以後、近隣の民衆蜂起が鎮圧されて孤立するようになり、内部の裏切りが発生して張凌翔と馬河図はこの年に戦死した。張凌翔の死後、白旗軍の指揮は金万照に引き継がれた。

参考文献

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  • 白寿彝主編『回族人物志』寧夏人民出版社