弥勒菩薩半跏思惟像

仏像の一類型

弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゆいぞう、みろくぼさつはんかしいぞう) は、仏像の一形式で、台座に腰掛けて左足を下げ、右足先を左大腿部にのせて足を組み(半跏)、折り曲げた右膝頭の上に右肘をつき、右手の指先を軽く右頰にふれて思索する(思惟)姿の弥勒菩薩像である[1]日本には大陸より6世紀から7世紀弥勒信仰の流入と共に伝えられ、飛鳥時代から奈良時代にかけての作品が多く残されている。広隆寺に収蔵。

広隆寺の宝冠弥勒

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広隆寺「宝冠弥勒」国宝
 
中宮寺 木造菩薩半跏像(国宝

京都府京都市太秦広隆寺霊宝殿に安置されている「宝冠弥勒」(国宝彫刻の部第一号)は、右手の中指を頬にあてて物思いにふける姿であり、傑作として知られる。像高は123.3センチメートル(左足含む)、坐高は84.2センチメートル。アカマツ材の一木造で、右手を頬に軽く当て、思索のポーズを示す弥勒像である。像表面は、現状ではほとんど素地を現すが、元来は金箔でおおわれていたことが、下腹部等にわずかに残る痕跡から明らかである。右手の人差し指と小指、両足先などは後補で、面部にも補修の手が入っている。[2]

制作時期は7世紀とされるが、制作地については作風等から朝鮮半島からの渡来像であるとする説が有力である。日本で制作されたとする仮説、朝鮮半島から渡来した霊木を日本で彫刻したとする仮説があるが定かではない。朝鮮半島からの渡来仏だとする説からは、『日本書紀』に記される推古天皇31年(623年)、新羅に請来した仏像がこの像に当たると考察される。

『広隆寺資財交替実録帳』の金堂の項をみると、安置されている仏像の中に2体の「金色弥勒菩薩像」があり、1体には「所謂太子本願御形」、もう1体には「在薬師仏殿之内」との注記がある。「太子本願御形」の像が宝冠弥勒であり、「在薬師仏殿之内」(金堂本尊薬師如来像の厨子内にある)の像がもう1体の宝髻弥勒にあたると考えられている。

本像についてしばしば「国宝第1号」として紹介されるが、本像と同じく1951年(昭和26年)6月9日付けで国宝に指定された物件は他にも多数ある。本像の「国宝第1号」とは、国宝指定時の指定書及び台帳の番号が「彫刻第1号」であるということである。[3]

半跏思惟像の作例

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en:Gilt-bronze Maitreya in Meditation (National Treasure No. 78)
en:Gilt-bronze Maitreya in Meditation (National Treasure No. 83)

脚注

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  1. ^ はんかしいぞう【半跏思惟像】 世界大百科事典第2版の解説
  2. ^ 『週刊朝日百科 世界の美術』104号p11-105の解説による
  3. ^ 文化財保護法に基づく国宝の最初の指定は1951年6月9日付けで行われた(官報告示は1952年1月12日に掲載、文化財保護委員会告示第2号)。この時には建造物32件、美術工芸品145件が国宝に指定されている。(参照:国立国会図書館デジタルコレクション

関連項目

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  • 弥勒菩薩
  • 広隆寺中宮寺野中寺
  • 神の雫 - この漫画作品の単行本第20巻において、イタリアの赤ワイン「バローロ カンヌビ・ボスキス(2001)」は広隆寺の宝冠弥勒、「ブルーノ・ジャコーザ バローロ(2001)」は中宮寺木造菩薩半跏像、そしてフランスの赤ワイン「クロ・サン・ジャック(1997)」は広隆寺の泣き弥勒をイメージさせる、と紹介された。

外部リンク

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