弘助法親王(こうじょほうしんのう、1378年(永和4年) - 不明)は、室町時代の皇族。崇光天皇の第三皇子で母は三条局。真言宗御室派の僧。
弘助法親王 | |
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続柄 | 崇光天皇第三皇子 |
身位 | 法親王 |
出生 |
1378年(永和4年) |
死去 |
不明 |
父親 | 崇光天皇 |
母親 | 三条局 |
役職 | 仁和寺僧侶 |
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1378年(永和4年)、崇光天皇の第三王子として生まれる。母は三条局[1]。その後、寛性入道親王の弟子となり、京都の仁和寺にあった相応院に入った[2]。
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