引田 一郎(ひきた いちろう、1897年10月1日 - 1973年4月18日)は、日本の経営者。宝塚歌劇団理事長、宝塚音楽学校校長を務めた。
東京都中野区出身[1]。1924年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に阪神急行電鉄(のちの阪急電鉄)に入社[1]。1933年10月に宝塚歌劇団理事長に就任し、1946年12月に阪急電鉄取締役に就任し、宝塚音楽学校校長も務めた[1]。
1966年5月に藍綬褒章を受章した[1]。
1973年4月18日、心不全のために死去[2]。75歳没。