弓削牛養
弓削 牛養(ゆげ の うしかい)は、奈良時代の貴族。姓は宿禰のち朝臣。道鏡の従兄弟で、弓削富足の子とする系図がある。官位は従五位上・近衛少将。
時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位上・近衛少将 |
主君 | 称徳天皇 |
氏族 | 弓削氏 |
父母 | 父:弓削富足[1] |
兄弟 | 牛養、玄賓[1] |
経歴
編集天平神護元年(765年)従六位下から四階昇叙されて従五位下に叙爵。同年中に従五位上・近衛少将に叙任される。神護景雲元年(767年)越前介を兼ねる。神護景雲4年(770年)4月に宿禰姓から朝臣姓に改姓するが、同年8月の称徳天皇崩御に伴う道鏡失脚後の動静は不明。
官歴
編集『続日本紀』による。