式守伊之助 (8代)

大相撲の行司 (1843-1897)

8代 式守 伊之助(はちだい しきもり いのすけ、天保14年5月14日1843年6月11日) - 明治30年(1897年12月18日)は、大相撲立行司。本名は後藤文次郎(与太夫)。出身地は現在の岩手県北上市

8代式守伊之助
8th Shikimori Inosuke
基礎情報
行司名 初代式守錦太夫 → 3代式守与太夫 → 8代式守伊之助
本名 ごとう ぶんじろう
後藤 文次郎
生年月日 (1843-06-11) 1843年6月11日
没年月日 (1897-12-18) 1897年12月18日(54歳没)
出身 日本の旗 日本岩手県北上市
データ
現在の階級 引退
最高位 立行司(式守伊之助)
初土俵 1856年11月場所
立行司 1884年5月
引退 1897年12月18日
備考

人物

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6代式守伊之助の弟子。初代の式守錦太夫で、安政3年(1856年)11月に初めて番付に載る。明治4年(1871年)3月に3代式守与太夫を襲名し、地道に昇進していった。明治17年(1884年)5月に8代式守伊之助を襲名。1年後に次席となった。堅実な軍配裁きに定評があった。明治30年(1897年)12月18日死去した。享年54。

参考文献

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  • 「相撲」編集部 編『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社、2001年4月1日。ISBN 978-4583036403NCID BA51895886 

関連項目

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脚注

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