庄内町 (愛知県)
日本の愛知県西春日井郡にあった町
庄内町(しょうないちょう)は、かつて愛知県西春日井郡にあった町である。現在の名古屋市西区の北部にあたる。
しょうないちょう 庄内町 | |
---|---|
愛知県西春日井郡庄内村道路元標 | |
廃止日 | 1937年3月1日 |
廃止理由 |
編入 |
現在の自治体 | 名古屋市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 西春日井郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
12,661人 (1935年10月1日) |
庄内町役場 | |
所在地 | 愛知県西春日井郡庄内町大字名塚[1] |
座標 | 北緯35度12分05秒 東経136度53分06秒 / 北緯35.2015度 東経136.88503度座標: 北緯35度12分05秒 東経136度53分06秒 / 北緯35.2015度 東経136.88503度 |
ウィキプロジェクト |
庄内川南岸に位置しており、町名はこの河川にちなむ[2]。地名としての「庄内町」は現存しないが、愛知県道63号名古屋江南線の一部が「庄内通」と名づけられている。
沿革
編集- 江戸時代末期、この地域は尾張国春日井郡であり、尾張藩領、今尾藩領などであった。
- 1880年(明治13年)2月5日 - 春日井郡が東春日井郡と西春日井郡に分割される。この地域は西春日井郡となる。
- 1889年(明治22年)10月1日[要出典] - 新福寺村 、堀越村、稲生村、名塚村が合併し、庄内村となる[2]。旧村はそのまま大字となる[2]。
- 1926年(大正15年)4月1日[要出典] - 町制施行し、庄内町となる[2]。
- 1930年(昭和5年)6月15日[要出典] - 庄内町の一部(旧・堀越村)が名古屋市西区に編入される[2]。
- 1937年(昭和12年)3月1日[要出典] - 名古屋市西区に編入される[2]。
教育
編集- 名塚尋常小学校[3]
- 明治6年2月、「義校」の名称により設置。1874年(明治7年)5月「培根学校」、1876年(明治9年)7月「新福学校」と改称。1884年(明治17年)7月大字名塚に校舎を新築する。さらに1886年(明治19年)8月「時雍学校」、1887年(明治20年)4月「尋常小学校名塚学校」、1892年(明治25年)4月「名塚尋常小学校」と改称した。金城村大字児玉・上名古屋・北押切の児童および当村の児童の通学先となっていたが、1894年(明治27年)11月大字稲生・名塚・新福寺の児童については下記の庄内尋常小学校設立に伴い分離、1901年(明治34年)3月廃校に伴い大字堀越の児童についても庄内尋常小学校へ、残りは金城学校の学区となった。
- 庄内尋常小学校[4](現・名古屋市立庄内小学校)
- 1894年(明治27年)11月、名塚尋常小学校より分離新設。設立当時は当村大字稲生・名塚・新福寺を学区としていたが、1901年(明治34年)3月の名塚尋常小学校廃校に伴い、大字堀越の児童を受け入れるようになる。
- 庄内尋常高等小学校
- 庄内農業補習学校
- 庄内村青年会[7]
神社・仏閣
編集交通
編集道路
編集- 西枇杷島郡道西枇杷島川中線
鉄道
編集警察
編集脚注
編集- ^ 愛知県西春日井郡 1923, p. 85.
- ^ a b c d e f 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 1989, p. 691.
- ^ 愛知県西春日井郡 1923, p. 183.
- ^ a b 愛知県西春日井郡 1923, p. 184.
- ^ 愛知県西春日井郡 1923, p. 192.
- ^ 愛知県西春日井郡 1923, pp. 194–196.
- ^ 愛知県西春日井郡 1923, p. 202.
- ^ 愛知県西春日井郡 1923, p. 112.
- ^ 愛知県西春日井郡 1923, p. 92.
参考文献
編集- 愛知県西春日井郡 編『愛知県西春日井郡誌』愛知県西春日井郡、1923年1月1日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5。