広瀬城 (飛騨国)
岐阜県高山市にあった城
広瀬城(ひろせじょう)、または田中城(たなかじょう)は、岐阜県高山市国府町大字名張・大字瓜巣にあった日本の城。城跡は1970年(昭和45年)8月11日付けで岐阜県指定史跡に指定されている[1]。
広瀬城 (岐阜県) | |
---|---|
別名 | 田中城 |
城郭構造 | 山城 |
築城主 | 田中与左衛門 |
築城年 | 不明 |
主な改修者 | 田中氏(広瀬氏家臣) |
遺構 | 郭、 土塁、堀 |
指定文化財 | 1970年(昭和45年)県史跡指定 |
位置 | 北緯36度12分01.0秒 東経137度13分12.0秒 / 北緯36.200278度 東経137.220000度 |
地図 |
概要
編集高堂城が所在する山脈稜線の東端に築かれた広瀬氏の山城である。『飛州志』では「田中城」として挙げられ「旧称広瀬ノ城卜云フ。広瀬宗城家臣田中与左衛門守之」と記している[2]。
特徴的な遺構としては、主郭西側の大堀切、西の郭の周辺の見られる畝状空堀がある。特に畝状空堀は明瞭な形で現存しており、観察しやすい。また、この畝状空堀は、城の北側と尾根の西面とにだけ掘られており、防御すべき正面を意識した配置となっている。なお、当城の大手道の傍らには、田中筑前守の墓碑が残る。
広瀬氏が天正11年(1583年)に三木自綱(姉小路頼綱)に敗れた後は高堂城と共に三木氏の拠点となったが、その三木氏も天正13年(1585年)に金森長近に敗れた[1]。
城主
編集一族・郎党
編集- 広瀬介之進
- 広瀬織部
- 田中予三左エ門(城代)
- 田中与一
- 磯村長十郎
脚注
編集- ^ a b “広瀬城跡附田中筑前守墓碑”. 岐阜県 (2015年10月15日). 2021年3月28日閲覧。
- ^ 『飛州志』巻6 p.182
参考文献
編集- 国府の山城研究会編『飛騨国府 戦国の山城フォーラム:国府の山城の謎に迫る!:資料集』国府の山城研究会 2012年(平成24年)7月