広岡 恵三 (ひろおか けいぞう、1876年明治9年)2月8日 - 1952年昭和27年)1月6日[1])は、日本の実業家大同生命第2代社長。

広岡恵三

来歴・人物

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1876年(明治9年)、子爵一柳末徳の次男として東京で生まれる。

東京帝国大学在学中に広岡浅子(明治・大正期の実業家)の娘・亀子との縁談がまとまり、1901年(明治34年)に結婚、広岡家の婿養子となる。

1904年(明治37年)、義父・広岡信五郎(浅子の夫)の死を機に加島銀行に入社し、浅子らの事業を継承。

1909年(明治42年)、加島屋9代目当主・広岡久右衛門正秋の死を機に、加島銀行頭取、大同生命第2代社長に就任。

1910年(明治43年)、大阪電気軌道(現在の近畿日本鉄道の前身)の初代社長に就任(1912年に辞任)。

1924年(大正13年)、大分銀行の第5代頭取に就任(1927年に辞任)。

広岡恵三が登場する作品

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関連する人物

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備考

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脚注

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  1. ^ 平成新修旧華族家系大成 下巻』(霞会館、1996年)p.407

外部リンク

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先代
-
大阪電気軌道
(現:近鉄グループホールディングス近畿日本鉄道)社長
初代:(1910年 - 1912年
次代
岩下清周
先代
小野駿一
大分銀行頭取
第5代:(1924年 - 1927年
次代
首藤正壽