広宗 糸継(ひろむね の いとつぐ、生没年不詳)は、平安時代初期から前期にかけての貴族氏姓は東部(無姓)のち広宗連、広宗宿禰。官位従五位上越中守

出自

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東部とうほう氏は高句麗渡来氏族で、呼称は高句麗五部の一つである東部に由来する[1]

経歴

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嵯峨朝初頭の弘仁2年(811年)東部黒麻呂が広宗連の賜姓を受けた際、糸継も同時に改姓したか。

嵯峨朝末の弘仁14年(823年従五位下に叙せられると、淳和朝末の天長9年(832年外正五位下に昇叙された。またこののち、姓から宿禰姓に改姓している。

仁明朝承和3年(836年内位の従五位下に叙せられ、承和9年(842年玄蕃頭に任ぜられる。またこの間の承和7年(840年)淳和上皇の崩御に際して、従四位下岑成王らとともに養役夫司を務めた。

文徳朝仁寿3年(853年)従五位上に昇叙され、清和朝初頭の天安3年(859年越中守に任ぜられている。

官歴

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六国史』による。

脚注

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  1. ^ 佐伯[1994: 321]

参考文献

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  • 森田悌『日本後紀 (中)』講談社講談社学術文庫〉、2006年
  • 森田悌『日本後紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、2007年
  • 森田悌『続日本後紀』(上下巻)、講談社〈講談社学術文庫〉、2010年