平 頼清(たいら の よりきよ、生年不詳 - 文永3年(1266年))は、鎌倉時代の公家。桓武平氏、正三位・平保盛の子。官位は従三位・右馬頭。
右馬頭を経て、後嵯峨院政期前期の建長7年(1255年)従三位に叙せられ公卿に列した。公卿昇進後は散位となり、以降兼官を帯びることはなかった。文永3年(1266年)薨去。
子孫で公卿に昇る者はなく、頼盛流(池流)で最後の公卿となった。
『公卿補任』による。
注記のないものは『系図纂要』による。