平野耕輔
平野 耕輔(ひらの こうすけ、1871年6月10日 - 1947年4月10日)は、日本の化学者、窯業学者。
東京職工学校(後に東京工業学校、東京高等工業学校と改称、現東京工業大学)でゴットフリード・ワグネルに窯業を学んだ[1]。母校の教授として窯業学を発展させ、後年のセラミックス研究の基礎を築くとともに、満州で窯業試験事業を確立するなど、近代窯業黎明期にあって、学会および産業界双方の育成に貢献した[2]。
略歴
編集1891年、東京工業学校陶器玻璃工科(後の窯業科)卒業[1]。1899年、ドイツおよびベルギーに3年間留学し、1902年、東京高等工業学校教授、後に窯業科主任。1908年、満鉄嘱託として満州各地の窯業原料の調査に従事し、1911年には硝子事業調査のために渡欧した。1917年、満鉄の招聘に応じ満鉄中央試験所窯業科長に就き、13年間満州で過ごす。1930年、商工省陶磁器試験所長に就くが、1937年に退官。1940年、近藤清治教授(窯業学科主任)急逝のため東京工業大学教授として母校に復帰し[1]、1943年、東京工業大学窯業研究所(現・フロンティア材料研究所)初代所長を務めた[1]。
蒐集した窯業製品の一部は、東京工業大学に教育参考資料として寄贈され、平野コレクションとして保管されている[1]。