平 英房(へい/たいら ひでふさ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。義就流畠山氏(総州家)の奉行人(内衆)を務めた。
英房の英の字は畠山義英の偏諱を受けたものであると考えられる。
享禄4年(1531年)7月17日には畠山義堯の奉行人として文書を発給している[1]。
義堯が死去した後は奉行人としての立場を終われ、同族と見られる平英正が畠山在氏の奉行人を務めている[2]。
後継者と見られる平誠佑は畠山尚誠の偏諱を受けており、畠山在氏と木沢長政の没落に伴い復権したと考えられる[3]。