平目孝志
日本の元騎手(1960−2013)
平目 孝志(ひらめ たかゆき、1960年1月5日 - 2013年8月9日)は、日本中央競馬会(JRA)に所属した騎手。
平目孝志 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 |
北海道沙流郡門別町 (現・日高町) |
生年月日 | 1960年1月5日 |
死没 | 2013年8月9日(満53歳没) |
身長 | 160cm(1996年[1]) |
体重 | 49.5kg(〃) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会 |
初免許年 | 1981年 |
騎手引退日 | 1997年2月28日 |
重賞勝利 | 1勝 |
通算勝利 | 1819戦95勝 |
経歴
編集北海道門別町に育つ[2]。1975年、高校入学を控えた春休みに近隣の牧場主から誘われ、滋賀県栗東トレーニングセンターに所属する諏訪佐市のもとで騎手候補生となる[2]。翌正月に諏訪との諍いから殴り合いを演じ一時実家に戻ったが、騎手養成課程の教官に説得されて戻り、中山競馬場の二本柳一馬厩舎に移った[2]。このため、諏訪と確執が発生し、一時は絶縁状態となり、関西所属騎手としての活躍は幻に終わったが、後日に諏訪と改めて面会し、和解している[2]。
1981年に騎手デビュー。地味な二本柳厩舎で華々しい成績は挙がらなかったが[2]、1996年、新馬戦から騎乗を続けていたアミサイクロンでマーチステークスを制し、騎手生活唯一の重賞勝利を挙げた。同馬は単勝オッズ106倍という14頭立ての最低人気馬であり、2着馬(8番人気)との馬連払戻は8万8960円という史上3番目(当時)の高額配当となった[3]。翌1997年に騎手を引退[4]。通算成績は1819戦95勝[4]。その後は調教助手に転身した[4]。
根本康広厩舎に所属していた2013年8月、函館開催への出張中に馬房内において自殺とみられる状態(縊死)で発見された[4]。53歳没。
出典
編集参考文献
編集- 鶴木遵『チャンピオンは眠らない』(ベストセラーズ、1997年)ISBN 978-4584183083
- 『優駿』1997年5月号(日本中央競馬会)