平沢長吉
大正・昭和期の実業家、政治家
平沢 長吉(平澤、ひらさわ ちょうきち、1893年(明治26年)10月5日[1][2] - 1960年(昭和35年)6月14日[3])は、大正・昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
編集秋田県[3]南秋田郡土崎港町本山町[1][2](現秋田市土崎港中央)で、平沢喜一郎の長男として生まれる[1]。1915年(大正4年)東京帝国大学農科大学実科を卒業した[2][3]。
木材業を営み、出羽林業を設立して取締役に就任[1][2]。土崎木材商業組合長、秋田県木材業統制組合理事長、同森林組合連合会副会長、同木材業林産組合長、秋田合同運送社長、三協木材社長、東北興業監事などを務めた[1][2]。
政界では、土崎港町会議員、秋田市会議員、秋田県会議員、同参事会員、同議長を務めた[1][3]。1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で秋田県第1区から秋田県民主党公認で出馬して初当選[2][3]。以後、1952年(昭和27年)10月の第25回総選挙まで再選され[4]、衆議院議員に連続3期在任した[2][3]。この間、第3次吉田内閣・厚生政務次官、民主自由党総務、自由党総務、同秋田県支部長などを務めた[2][3]。その後、第26回、第27回総選挙に立候補したがいずれも落選した[5]。
脚注
編集参考文献
編集- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『秋田人名大事典(第二版)』秋田魁新報社、2000年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。