平棟子
日本の鎌倉時代の人物。後嵯峨天皇の妃・准三后・典侍。従一位
平 棟子(たいら の むねこ、生年不詳 - 徳治3年9月16日(1308年11月7日))は、後嵯峨天皇の内侍で、鎌倉六代将軍宗尊親王の母。従一位。高棟王流平氏の出自で、父は木工頭平棟基、兄弟に参議平成俊がいる。京極准后(きょうごく じゅごう)として知られるほか、大納言二位局(だいなごんの にいのつぼね)、宰相三位(さいしょうのさんみ)、兵衛内侍(ひょうえのないし)などの女房名がある。
はじめ掌侍として出仕した幼年の四条天皇が事故死したため、あらためて後嵯峨天皇に仕え宗尊親王を産んだ。大変な美貌の持ち主で後嵯峨天皇の寵愛が殊の外厚く、仁治3年(1242年)4月14日にあらためて掌侍に任じられたのを皮切りに、寛元3年(1245年)2月18日には典侍に進む。寛元4(1246-7年)12月1日に従三位、建長2年(1250年)10月13日には従二位を授けられ、さらに後年破格の従一位准三后に昇った。弘安6年(1283年)以降は大覚寺統の後宇多天皇(大覚寺統)から「准祖母」的な待遇を受けていたとする指摘もある[1]。晩年は京極殿に居住して京極准后と呼ばれた[2]。