平林輝良寛
平林 輝良寛(ひらばやし きよひろ、1984年6月4日 - )は元サッカー選手。2009年から2011年3月まではフットサル選手として活動していた。 現役時代のポジションはフォワード・ミッドフィールダー。
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
愛称 | キヨ | |||||
カタカナ | ヒラバヤシ キヨヒロ | |||||
ラテン文字 | HIRABAYASHI Kiyohiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1984年6月4日(40歳) | |||||
出身地 | 愛知県稲沢市 | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2000-2002 | 名古屋グランパスエイト | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2003-2006 | 名古屋グランパスエイト | 14 | (1) | |||
2006 | → サガン鳥栖 (loan) | 2 | (0) | |||
2007-2008 | FC刈谷 | 61 | (19) | |||
2009-2011 | 名古屋オーシャンズ | 22 | (5) | |||
2011-2012 | ツエーゲン金沢 | 57 | (15) | |||
2013-2016 | レノファ山口FC | 78 | (16) | |||
通算 | 212 | (51) | ||||
代表歴 | ||||||
2001 | 日本U-17 | 2 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2020- | 愛知淑徳大学 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集名古屋グランパスエイトユース出身。2001年にトリニダード・トバゴで開催されたU-17世界選手権に出場したU-17日本代表に矢野貴章・藤本淳吾らとともに選出されている。
2003年に名古屋のトップチームに昇格する(同期に深津康太ほか)も思うように出場機会に恵まれず、2006年9月にサガン鳥栖に期限付き移籍。2007年には日本フットボールリーグ (JFL)・FC刈谷に完全移籍してエースとして活躍したが、2008年オフに契約更新できず退団となってしまう[1]。
所属先が決まらぬ状態で地元名古屋に本拠地を置くフットサルクラブ・名古屋オーシャンズ(Fリーグ)から声がかかり、練習生として参加。2008年からの3年間で、最終的にはプロ契約にまでこぎつけた[1]。
2011年からはアウトドアに復帰し、JFL・ツエーゲン金沢を経て2013年に中国サッカーリーグ・レノファ山口FCに移籍、同年の日本フットボールリーグ昇格に貢献した。2014年も主力として活躍し、同年のJ3リーグ昇格に貢献するとともに、個人的にも9年ぶりのJリーグ復帰となった[1]。2015年シーズン最終戦・ガイナーレ鳥取戦(とりぎんバードスタジアム)では、後半アディショナルタイムに途中出場し、クラブのJ3優勝・J2リーグ昇格を決める同点ゴールを挙げた[2]。
2016年12月2日、シーズン終了後の契約満了による退団が発表された[3]。
2017年3月31日、現役を引退し名古屋グランパスのスクールコーチに就任することが発表された[4]。
所属クラブ
編集サッカー
編集- 名古屋グランパスエイトユース
- 2003年 - 2006年 名古屋グランパスエイト
- 2006年9月 - 同年12月 サガン鳥栖 (期限付き移籍)
- 2007年 - 2008年 FC刈谷
- 2011年4月 - 2012年 ツエーゲン金沢[6]
- 2013年 - 2016年 レノファ山口FC[7]
フットサル
編集個人成績
編集サッカー
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | 名古屋 | 23 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2004 | 26 | 8 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 10 | 0 | ||
2005 | 5 | 1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 9 | 1 | |||
2006 | 1 | 0 | 2 | 0 | - | 3 | 0 | ||||
鳥栖 | 32 | J2 | 2 | 0 | - | 0 | 0 | 2 | 0 | ||
2007 | 刈谷 | 18 | JFL | 30 | 7 | - | 1 | 0 | 31 | 7 | |
2008 | 31 | 12 | - | - | 31 | 12 | |||||
2011 | 金沢 | 2 | JFL | 31 | 10 | - | 2 | 4 | 33 | 14 | |
2012 | 26 | 5 | - | 1 | 0 | 27 | 5 | ||||
2013 | 山口 | 39 | 中国 | 16 | 7 | - | 1 | 0 | 17 | 7 | |
2014 | JFL | 26 | 5 | - | - | 26 | 5 | ||||
2015 | J3 | 30 | 4 | - | 1 | 0 | 31 | 4 | |||
2016 | J2 | 6 | 0 | - | 0 | 0 | 6 | 0 | |||
通算 | 日本 | J1 | 14 | 1 | 7 | 0 | 1 | 0 | 22 | 1 | |
日本 | J2 | 8 | 0 | - | 0 | 0 | 8 | 0 | |||
日本 | J3 | 30 | 4 | - | 1 | 0 | 31 | 4 | |||
日本 | JFL | 144 | 39 | - | 4 | 4 | 148 | 43 | |||
日本 | 中国 | 16 | 7 | - | 1 | 0 | 17 | 7 | |||
総通算 | 212 | 51 | 7 | 0 | 7 | 4 | 226 | 55 |
フットサル
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | オーシャン アリーナ杯 |
全日本選手権 | 期間通算 | |||||||
2009-10 | 名古屋 | 17 | Fリーグ | 18 | 3 | - | 18 | 3 | |||
2010-11 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | |||
通算 | 日本 | Fリーグ | 22 | 5 | 0 | 0 | 22 | 5 | |||
総通算 | 22 | 5 | 0 | 0 | 22 | 5 |
代表歴
編集- 2000年 U-16日本代表
- 2001年 U-17日本代表
- 2002年 U-19日本代表
脚注
編集- ^ a b c “アンダー代表で活躍も24歳で“戦力外”…フットサルも経験した平林が戦う9年ぶりのJの舞台”. ゲキサカ (講談社). (2015年9月21日) 2015年9月26日閲覧。
- ^ “山口がJ2初昇格! ロスタイムに劇的同点弾 町田は入れ替え戦へ”. スポーツニッポン. (2015年11月23日) 2015年12月31日閲覧。
- ^ “山口の苦労人MF平林輝良寛が契約満了に”. ゲキサカ (講談社). (2016年12月2日) 2016年12月2日閲覧。
- ^ レノファ山口FC (2017年3月31日). “平林輝良寛選手 現役引退、名古屋グランパススクールコーチ就任のお知らせ” 2017年3月31日閲覧。
- ^ “新しいコーチ”. 愛知淑徳大学男子サッカー部 (2019年3月27日). 2020年7月23日閲覧。
- ^ ツエーゲン金沢 (2011年4月1日). “平林 輝良寛選手 新加入のお知らせ”. 2011年4月1日閲覧。
- ^ レノファ山口 (2013年1月25日). “平林輝良寛選手 新加入のお知らせ”. 2013年1月25日閲覧。
- ^ nagoya oceans (2011年3月23日). “退団選手のお知らせ”. 2011年4月1日閲覧。
- ^ Jリーグ選手年鑑2015(エルゴラ発行)
関連項目
編集外部リンク
編集- 平林輝良寛 - Soccerway.com
- 平林輝良寛 - FootballDatabase.eu
- 平林輝良寛 - WorldFootball.net
- 平林輝良寛 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 平林輝良寛 - FIFA主催大会成績
- 平林輝良寛 - J.League Data Siteによる選手データ