平忠光
平安時代中期の武将・豪族。平良文の五男。駿河介。三浦氏、梶原氏、長江氏、鎌倉氏の祖
平 忠光(たいら の ただみつ)は、平安時代中期の武将・豪族。平良文の子。平安末期に成立した『二中歴』によると、経明(忠頼、忠依)の弟とされている。
時代 | 平安時代中期 |
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生誕 | 承平2年(932年)? |
死没 | 不明 |
別名 | 小五郎? |
墓所 | 神奈川県藤沢市の二伝寺 |
官位 | 駿河介 |
氏族 | 桓武平氏良文流 |
父母 |
父:平良文[1]、母:大野茂吉[2]娘? 養父:平忠輔 |
兄弟 | 忠輔、忠頼、忠光 |
子 | 忠通、恒高、碓井貞光? |
略歴
編集早世した長兄・忠輔の養子となり、その遺領を相続した。
当時、関東は坂東平氏の領するところであったが、平将門の乱以降、忠頼・忠光兄弟は平繁盛らと対立していた。繁盛らの訴えにより、一時期は朝廷からも官符が出るほどであった。これに続く平忠常の乱によって関東は大いに荒廃することになる。
系譜
編集三浦氏の幾つかの系譜では、「良文―忠通―為通―為継」と記述されているがこれは明らかな誤りであり、良文と忠通の間に忠光が置かれないと年代的に無理が生じる。
忠通の孫・三浦為継の生年が1048年なので、忠通は980年代から990年代生まれとされ、それは良文の死後となるからである。