平岡忠次郎
平岡 忠次郎(ひらおか ちゅうじろう、1911年(明治44年)8月17日[1] - 1989年(平成元年)6月20日[1][2])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。
平岡 忠次郎 ひらおか ちゅうじろう | |
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生年月日 | 1911年8月17日 |
出生地 | 埼玉県入間郡元加治村(現・入間市) |
没年月日 | 1989年6月20日(77歳没) |
出身校 | 東京商科大学(現・一橋大学)卒業 |
所属政党 |
(右派社会党→) 日本社会党 |
選挙区 | 旧埼玉2区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1952年10月1日 - 1969年12月2日 |
経歴
編集埼玉県入間郡元加治村(現:入間市)で、所沢町の織物問屋浜田屋の二男として生まれる[1]。1936年、東京商科大学を卒業した[1][2]。
その後、平岡洋行主、富士汽船社長、所沢産業社長などを務めた[2]。
戦後すぐに日本社会党に入党[1]。所沢市議会議員に就任[1][2]。1952年10月、第25回衆議院議員総選挙で埼玉県第二区から出馬して当選[2]。その後、第31回総選挙まで連続7回の当選を果たした[1][2]。この間、世界連邦日本国会委員会事務局長、世界連邦国会議員世界協会常任理事、日本社会党埼玉県連合会長、同党政策審議会副会長、同財務委員会副委員長、同代議士会副会長、同国際団体部長、同政審会大蔵部長、同税制部長、同中央執行委員、社会文化会館建設副委員長兼事務局長、首都圏開発副委員長などを務めた[1][2]。
栄典
編集脚注
編集参考文献
編集- 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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