平山古墳 (壱岐市)
平山古墳(ひらやまこふん)または平山1号墳(ひらやまいちごうふん)は、長崎県壱岐市石田町石田東触にある古墳。形状は円墳。平山古墳群を構成する古墳の1つ。壱岐市指定史跡に指定されている(指定名称は「平山古墳」)。
平山古墳 / 平山1号墳 | |
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墳丘・石室開口部 | |
所属 | 平山古墳群 |
所在地 | 長崎県壱岐市石田町石田東触(字平山) |
位置 | 北緯33度45分35.40秒 東経129度45分49.10秒 / 北緯33.7598333度 東経129.7636389度座標: 北緯33度45分35.40秒 東経129度45分49.10秒 / 北緯33.7598333度 東経129.7636389度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径11-14m(推定復元17-20m) 高さ4.85m(推定復元5m) |
埋葬施設 | 両袖式横穴式石室 |
築造時期 | 6世紀末-7世紀初頭 |
史跡 | 壱岐市指定史跡「平山古墳」 |
地図 |
概要
編集壱岐島南東部、丘陵山腹に築造された古墳である。一帯では古墳3基からなる平山古墳群が分布し、本古墳はそのうち最大規模の古墳になる。1996年(平成8年)に墳丘測量・石室実測調査が実施されている。
墳丘は大きく流失しているが、墳形は円形で、南北約11メートル・東西約14メートル・高さ4.85メートルを測り、推定復元としては直径17-20メートル・高さ約5メートルと見積もられる[1]。墳丘裾部には石積みが巡るが、これは近年の墳丘盛土流失防止の整備によるものである。埋葬施設は両袖式の横穴式石室である。玄室・前室・羨道からなる複室構造の石室で、石室の石材には玄武岩の巨石が使用される。石室内の副葬品は詳らかでない[1]。築造時期は古墳時代後期-終末期の6世紀末-7世紀初頭頃と推定される[1]。
遺跡歴
編集埋葬施設
編集埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されている。玄室・前室・羨道からなる複室構造の石室である。石室の規模は次の通り[2]。
- 石室全長:7.8メートル
- 玄室:長さ2.1メートル、幅2.2-2.5メートル、高さ2.85メートル
- 前室:長さ2.4メートル、幅1.3メートル、高さ1.3メートル
石室の石材には玄武岩の自然石の巨石が使用される。玄室の平面形は台形に近い方形で、前室の平面形は比較的長い長方形である[2]。
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玄室(奥壁方向)
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玄室(開口部方向)
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前室(開口部方向)
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前室(玄室方向)
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羨道(開口部方向)
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羨道(玄室方向)
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開口部
文化財
編集壱岐市指定文化財
編集- 史跡
- 平山古墳 - 1971年(昭和46年)10月20日指定。
脚注
編集参考文献
編集(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(壱岐市教育委員会、2012年設置)
- 「平山1号墳」『壱岐の島の古墳群~現状調査』壱岐市教育委員会〈壱岐市文化財調査報告書第20集〉、2012年。
- 「平山古墳」『壱岐市の文化財』壱岐市教育委員会、2017年。