平井繁男
平井 繁男(ひらい しげお、慶応3年2月3日〔1867年3月8日〕- 大正14年〔1925年〕9月10日)は、日本の実業家、官吏、特許辨理士[1]。推理作家・江戸川乱歩の父[1]。
ひらい しげお 平井 繁男 | |
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生誕 |
1867年3月8日 三重県津市 |
死没 | 1925年9月10日(58歳没) |
墓地 | 多磨霊園 |
国籍 | 日本 |
出身校 |
関西法律学校卒業[1] (現・関西大学) |
職業 | 実業家、官吏 |
肩書き | 特許辨理士 |
来歴・人物
編集三重県津市出身。武士の家柄で津藩の藤堂家に仕えていた七代目平井杢右衛門(陳就)・後妻の和佐との間に生れた。関西法律学校(現・関西大学)第一回卒業生として卒業後、青年官吏として三重県名賀郡右名張町(名張市)役所に奉じた。この頃、津藩家臣の長女のきくと結婚し、1894年 (明治27年)第一子を儲け、太郎と命名。これが後の江戸川乱歩である。間もなく、鈴鹿郡へ転勤。1897年に東海紡績同盟会の職員となり、名古屋に移った。東海紡織同盟会書記長を歴任。
1908年(明治41年)輸入機械の取次ぎ販売、外国保険代理店、石炭販売に関連した平井商店を開業したが、1912年(明治45年)に倒産。一家は朝鮮馬山へ移住し、土地開墾事業に従事する。その後大阪へ移り、晩年は特許辨理士となり、著書『日本商法詳解』を刊行した。
家族・親族
編集参考文献
編集- 『江戸川乱歩とその時代』PHP研究所 2014年、8-9頁