干場崇永
干場 崇永(ほしば たかひさ、1972年1月12日 - )は、富山県氷見市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 富山県氷見市 |
生年月日 | 1972年1月12日(52歳) |
身長 体重 |
185 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1992年 ドラフト4位 |
初出場 | 1993年9月17日 |
最終出場 | 1998年9月19日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物
編集高岡商業高校では、1988年の第60回選抜高等学校野球大会に控え選手として出場した。2年時まで外野手として高校通算本塁打数20本を記録。3年時に投手転向した。1学年上には尾山敦、2学年上には進藤達哉がいた。
卒業後、三菱名古屋に入社した。社会人時代は、1990年に西濃運輸、1991年に本田技研鈴鹿(現・ホンダ鈴鹿)の補強選手として、2度の都市対抗野球大会出場を果たす。
1992年のドラフト4位指名で、千葉ロッテマリーンズに入団した。
1996年のシーズンはA+級バイセイリア・オークス(カリフォルニアリーグ)でデーブ・ロバーツやロッド・バラハスなどがチームメイトでプレーした。
1998年は自己最多の18試合に登板して初勝利も挙げたものの、翌1999年オフに戦力外通告を受け、横浜ベイスターズの入団テストを受けるも契約には至らず、現役を引退した。
引退後は母校・高岡商業高校の投手コーチ山田龍聖など育てた。
現在は、富山県の小学生対象を対象とする野球チーム「TOYAMA少年野球クラブ」を立ち上げ、チーム代表として育成・指導にあたっている。
選手としての特徴
編集MAX153km/hのストレートとカーブ・スライダー・シュートといった変化球が武器だったが、肩の故障で期待されたほどの活躍は出来なかった。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1993 | ロッテ | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 14 | 3.0 | 3 | 1 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 2 | 6.00 | 1.67 |
1998 | 18 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 146 | 34.0 | 38 | 3 | 11 | 0 | 2 | 14 | 1 | 0 | 14 | 14 | 3.71 | 1.44 | |
通算:2年 | 20 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 160 | 37.0 | 41 | 4 | 13 | 0 | 3 | 15 | 1 | 0 | 16 | 16 | 3.89 | 1.46 |
記録
編集- 初登板:1993年9月17日、対福岡ダイエーホークス24回戦(千葉マリンスタジアム)、9回表に4番手で登板、1回無失点
- 初奪三振:1993年9月25日、対オリックスブルーウェーブ25回戦(グリーンスタジアム神戸)、小川博文から
- 初勝利:1998年5月30日、対大阪近鉄バファローズ5回戦(大阪ドーム)、8回裏に5番手で登板、2回無失点
背番号
編集- 40(1993年 - 1999年)
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 干場崇永 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference