常紋信号場
日本の北海道北見市にあった北海道旅客鉄道の信号場
常紋信号場(じょうもんしんごうじょう)は、北海道北見市留辺蘂町金華に所在した北海道旅客鉄道(JR北海道)石北本線の信号場(廃止)である。電報略号はヤモ。事務管理コードは▲122523[3]。
常紋信号場 | |
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常紋信号場 金華方(2009年6月) | |
じょうもん Jōmon | |
◄A53 生田原 (10.3 km) (4.7 km) 金華(信)► | |
所在地 | 北海道北見市留辺蘂町金華 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■石北本線 |
キロ程 | 148.0 km(新旭川起点) |
電報略号 | ヤモ |
駅構造 | 地上(乗降設備なし) |
ホーム | 3線 |
開業年月日 | 1914年(大正3年)10月5日[1] |
廃止年月日 | 2017年(平成29年)3月4日[新聞 1][2] |
概要
編集生田原駅から約10.3 kmの地点、常紋トンネル網走方坑口付近に所在し、急勾配での発進ができない列車のためスイッチバック方式の配線で設置された[新聞 1][2]。
仮乗降場扱いで客扱いを行っていた時期もあり、石北本線で蒸気機関車の終焉が近づいた1970年代には、鉄道撮影を主な活動とする鉄道ファンらが同信号場を訪れるようになった[新聞 1][2]。
2001年(平成13年)7月1日のダイヤ改正で交換設備の使用を停止し、以降は閉塞区間の境界としてのみ機能していたが、JR北海道各線で行われた経費節減・設備合理化の一環として、2017年(平成29年)3月4日のダイヤ改正で正式に廃止された[新聞 1][2]。
歴史
編集- 1914年(大正3年)10月5日:鉄道院湧別軽便線留辺蘂駅:下生田原駅(→安国駅)間開業にともない常紋信号所として開業[1]。
- 1916年(大正5年)11月7日:留辺蘂駅 - 遠軽駅間が1,067 mm に改軌。
- 1922年(大正11年)
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体日本国有鉄道(国鉄)に移管。
- 1951年(昭和26年)4月1日ごろ:仮乗降場(局設定)として旅客の取り扱いを開始[1]。
- 1961年(昭和36年)4月1日:新旭川駅 - 網走駅間が石北本線に改称。
- 1975年(昭和50年)7月1日ごろ:旅客の取り扱いが終了[1]。
- 1984年(昭和59年):CTC化により完全無人化[4]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継[1]。
- 2001年(平成13年)7月1日:交換設備の使用が停止される。
- 2016年(平成28年)10月:管理設備の縮減を目的とした線路スリム化の一環で、同月末に使用していないポイントなどの線路設備を撤去[5]。
- 2017年(平成29年)3月4日:同日実施のダイヤ改正にあわせ廃止[新聞 1][2][6]。
構造
編集勾配の途中にあるスイッチバック式の構造で、側線が3本(網走方から見て本線の左側に2本、右側に1本)存在した。分岐器部分は巨大なスノーシェルターに覆われていた。
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場内の様子(2009年11月)
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使用が停止された側線・信号機(2009年6月)
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駅(信号場)接近標識は残されていた(2011年1月)
周辺
編集常紋トンネルの留辺蘂側に設置されていた。森林のみである。
隣の施設
編集脚注
編集出典
編集- ^ a b c d e f 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、919-920頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b c d e 「存廃に揺れる北辺の本線」『鉄道ジャーナル』No.610、2017年8月、53頁。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、245頁。doi:10.11501/1873236 。2023年3月21日閲覧。
- ^ “「通報」●石北本線桜岡駅ほか12駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 2. (1983年1月10日)
- ^ “No.12 命令項目 2.第一歩の改善 (3)安全確保を最優先とする事業運営の実現 ①現場の業務実施体制の確立” (PDF). 「事業改善命令・監督命令による措置を講ずるための計画」 平成29年度第4四半期実施状況の報告について. 北海道旅客鉄道株式会社. p. p.47 (2018年3月30日). 2018年3月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月30日閲覧。
- ^ 北海道旅客鉄道. “平成29年度 事業計画(案)” (PDF). 北海道. 2022年11月20日閲覧。