常磐ホテル(ときわホテル)は、山梨県甲府市信玄の湯 湯村温泉にあるホテル

常磐ホテル
常磐ホテルの遠景
常磐ホテルの遠景
ホテル概要
運営 株式会社常磐ホテル
所有者 株式会社常磐ホテル
部屋数 50室
駐車場 200台
開業 1929年(昭和4年)
最寄駅 甲府駅
最寄IC 甲府昭和IC
所在地 〒400-0073
山梨県甲府市湯村2-5-21
位置 北緯35度40分45.7秒 東経138度32分56.0秒 / 北緯35.679361度 東経138.548889度 / 35.679361; 138.548889座標: 北緯35度40分45.7秒 東経138度32分56.0秒 / 北緯35.679361度 東経138.548889度 / 35.679361; 138.548889
公式サイト 公式サイト
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概要

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1929年(昭和4年)開業の老舗ホテル。いわゆる「皇室御用達」ホテルの一つで、太平洋戦争末期には陸軍大学校の疎開先となったほか、戦後も昭和天皇をはじめ多くの皇族が宿泊している[1]。そのため「甲府の迎賓館」の異名を取る[2]

また山口瞳松本清張井伏鱒二などの作家が当ホテルを定宿としていたことで知られ、中でも離れにある「白根の間」では松本の『波の塔』の一部が執筆されたことで有名[3]。なお「白根の間」は2016年現在も現存し、一般からの宿泊予約も受け付けている。

近年は将棋囲碁のタイトル戦の舞台に選ばれることが多い。古くは1954年に将棋の王将戦を開催した記録が残っている[4]2015年だけでも将棋の王座戦竜王戦、囲碁の名人戦棋聖戦の対局が当ホテルで行われている[5][6]。中でも囲碁の名人戦については、山梨県内で過去11回(2015年現在)行われた全対局で、本ホテルが舞台となっている[6]。同ホテルでの対局は番勝負の後半に行われることが多い(=その前に決着が付き、対局が行われない場合がある)傾向があるが、これはむしろホテル側から棋戦の担当者に「後半でも構わない」と伝えている結果だという[4]。棋戦の主催者からは「常磐ホテルは打ち合わせもせず、名簿だけ送っておけば事が済む、大変楽だ」との声もあり、ホテル側の責任者も「6局目7局目に指定していただくのは、逆に主催者からの信頼の証」と語っている[7]

系列ホテルに、同じ山梨県・石和温泉の「石和常磐ホテル」がある。

施設

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客室は全50室と少なめ。東館(和室12室)・西館(和室24室・洋室3室)・離れ(7棟11室)がある。敷地内に自家源泉を持っており、特に離れの露天風呂は全て源泉かけ流しである[8]

約3000坪の広さを誇る日本庭園が名物で、米国の日本庭園情報誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」が選ぶ「しおさいランキング」でも上位の常連となっている(最高位は2012年・2013年の3位)[9]

宴会場が充実しており、東館の「コンベンションホール富士」(640平方メートル、最大800名収容)、西館の大広間「桜」(221畳、最大250名収容)など、数百名単位の収容能力を持つ施設が複数存在する。また本館2階の廊下には「名人の小径」の名前がつけられ、棋戦で訪れた棋士の色紙や写真、封じ手用紙などが展示されている[10]。その他レストラン・カフェ・売店など。

エピソード

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2014年より社長を務める笹本健次は、ネコ・パブリッシングの創業者であり、2022年時点でもAUTOCAR JAPANの編集長を兼任している[11][12]。そのため、本ホテルでもAUTOCAR JAPAN関係のイベントが開かれることが少なくないほか、電気自動車(EV)用の充電設備の整備にも力を入れている[13]

創業は前述の通り1929年(昭和4年)だが、現在の法人は2016年(平成28年)11月に設立されたもの。旧法人は2010年代に入り経営難に陥り8期連続の赤字となったことから、2017年(平成29年)4月に現法人に事業を譲渡し(新旧分離)、同年11月に株主総会にて解散を決議、2018年(平成30年)9月に東京地方裁判所特別清算を申し立てている。旧法人の負債総額は約20億6000万円[14]

脚注

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外部リンク

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